どうやら「主体性侵害型の適応障害」のようだ

更年期障害の症状に似ている気がして「男も更年期で老化する」を読みましたが、更年期であっても更年期障害ではなく、「不幸にする親 人生を奪われる子供」を読んで、生まれ育った環境の影響が年をくっても残り続けることが分かり、「働く人のための精神医学」で遺伝面も含めて人それぞれにパーソナリティがあることが分かりました。しかし、ここまで読んでもまだ解決しません。ここでふと思ったのが「適応障害」というキーワード。

適応障害

適応障害は、ある特定の状況や出来事が、その人にとってとてもつらく耐えがたく感じられ、そのために気分や行動面に症状が現れるものです。たとえば憂うつな気分や不安感が強くなるため、涙もろくなったり、過剰に心配したり、神経が過敏になったりします。また、無断欠席や無謀な運転、喧嘩、物を壊すなどの行動面の症状がみられることもあります。

ストレスとなる状況や出来事がはっきりしているので、その原因から離れると、症状は次第に改善します。でもストレス因から離れられない、取り除けない状況では、症状が慢性化することもあります。そういった場合は、カウンセリングを通して、ストレスフルな状況に適応する力をつけることも、有効な治療法です。

適応障害|病名から知る|こころの病気を知る|メンタルヘルス|厚生労働省

「ある特定の状況や出来事が、その人にとってとてもつらく耐えがたく感じられ」とあるように、人それぞれ「耐えられない」と感じられる原因とか要因は違うのです。

そこでさらに1歩踏み込んだ勉強をします。


岡田尊司(著)「ストレスと適応障害 つらい時期を乗り越える技術」

うつの患者は百万人以上いるが、実はその多くは「適応障害」である。環境の変化になじめなかったり、対人関係がうまくいかずに生じる心のトラブルで、自信や意欲がなくなったり、体調不良、不登校、出社困難、依存症などの問題として表れる。過敏な人だけでなく、人一倍前向きな人もかかる、もっとも身近な精神疾患だ。「うつ病」と誤診されて治療すると余計に悪化し、長引く場合も。ではどうすれば改善するのか?どうにもならない問題や悩みを抱え込んだとき、いかに対処すればいいのか。すぐに実践できる方法を、百戦錬磨の専門医がわかりやすく紹介。

「適応障害」が重症化すると「うつ病」になるようですが、「適応障害」の段階で「うつ病」の治療をすると逆効果で悪化させるようです。自分はどの段階にあるのだろうかと冷静に判断できる人は少ないのかもしれませんが、周囲の人が「この人は『うつ病』だ」と決めつけず、専門家の判断を仰ぐ必要があるのかもしれませんが、精神科医すらその判断が難しいようで、「適応障害」のスペシャリストのカウンセリングを受けることが最善策のようです。

「ストレスとなる状況や出来事」を取り除けば「適応障害」が解消されるのですから、「治療の必要はなし」で済めばいいのですが、環境を変えることができないからこそ、完治できないのです。

では、どのようなパーソナリティがどのような状況で「適応障害」になるのか。それを解説しているのが「ストレスと適応障害 つらい時期を乗り越える技術」というわけです。「働く人のための精神医学」とダブル話が多いため、「自分のこと」を知りたい場合は前者、「周囲の人のこと」を知りたい場合は後者を読むと良いです。特に「自分は適応障害かもしれない」と薄々感じている人は、「ストレスと適応障害 つらい時期を乗り越える技術」を読みながら自分が当てはまるのか確認できます。

目次

第1章 ストレスに負けない生き方
第2章 「生きる意味」と適応
第3章 発達特性と適応障害
第4章 パーソナリティ・タイプと適応障害
第5章 あなたの適応力をチェックする
第6章 学校で起きやすい適応障害
第7章 職場で起きやすい適応障害
第8章 家庭生活で起きやすい適応障害
第8章 凹まないための思考法
第10章 葛藤と試練を乗り越える

書籍からパーソナリティタイプの項目を抜粋します。

・回避性パーソナリティ
傷つく危険を極力避けるという適応戦略を特徴とするスタイルである。チャレンジすることも、責任を負うことも、闘うことも、失敗して傷つく危険があるのですべて避けようとする。それによって、心の平安を保とうとする。他人とは表面的な付き合いだけをして深入りを避け、また実力よりずっと下の仕事やポジションで満足し、負担が増えるのを嫌う。

・依存性パーソナリティ
自分に自信を持てないという点では、回避性の人に似ている。ただ、その自信のなさを補うために、別の戦略を用いる。誰かに頼ることで、安心感を確保しようとするのだ。そのために相手に逆らわず、合わせようとする。そうすることで相手に受け入れられ、庇護を得ようとするのだ。

・強迫性パーソナリティ
秩序やルールへの強いこだわりを特徴とするタイプだが、その適応戦略は、自分で判断し行動することに対する自信のなさを、約束事や計画や前例といった既成の路線を忠実に守ることで補うことにある。このタイプもまた、自分で考え行動することには不安が強いのである。しかし、依存性パーソナリティのように人に頼るのではなく、既存の枠組みやルールに頼ろうとする。それによって、自分で判断することの不安を免れる。

・自己愛性パーソナリティ
誇大な万能感や自己顕示性、他者に対する共感性の乏しさ、身勝手な搾取を特徴とするもので、自分を他者よりも一段と高い特別な存在とみなすことで自分を守ろうとする自己愛的防衛を、適応戦略の特徴とする。現実の自分がどうであれ、誇大な願望や理想が、あたかも自分が特別である証とみなされ、一段と低い存在である他者をそのために利用することは当然だと考える。

・演技性パーソナリティ
身体的な魅力やセックスアピールを強調することで、周囲の注目を得ようとするタイプで、周囲から注目されない自分は価値がないという信念を抱いている。演技性パーソナリティの適応戦略は、他者の注目や関心をじゃつきすることで自分の価値を認められようとするものであり、肉体的な魅力やパフォーマンスといった、表面の部分にとても重きを置いている。

・境界性パーソナリティ
対人関係や気分の両極端な変動、見捨てられることへの強い不安や自己否定、自傷や自殺企画などの自己破壊的行動を特徴とする状態であり、破壊的な行動化によって周囲は振り回されたり、いつの間にかコントロールされることになりやすい。境界性パーソナリティ障害の適応戦略の本質は、自分の要求を叶えてくれないのなら死んでしまうという言い方に特徴的に表れているように、自分の命さえも駆け引きに使い、捨て身の覚悟で、自分の要求を叶えようとすることだといえる。

・妄想性パーソナリティ
人を信じないことを特徴とするもので、過度な猜疑心や秘密主義、偏執的な信念といったことも特徴である。妄想性パーソナリティの適応戦略は、人を信じたり心を許さないことで、自分の身を守ろうとする。その根底には、他人は油断のならない悪意をもった存在だという思い込みがある。背景には、裏切られたり、攻撃されたり、辱められたりして、深く傷つく体験をしていることが多い。

いずれもその人の「性格」とか「個性」であって、単一というよりも複数のタイプを併せ持っているような気がします。度が過ぎると「○○性パーソナリティ障害」になってしまうのかもしれません。

ここまで読んで「この書籍もあくまでも参考程度のものだったのか」とガッカリしたのですが、読み進めると…

適応障害やうつが起きる状況には、もう一つのタイプがある。

「えっ何?」と興味をそそられる一文が現れます。

大抵の事は耐えられても、自分が一番大切にしていることやプライドをもっていることを踏みにじられるような思いを、何ヵ月も何年にもわたって味わい続けていると、その人の心は次第に活力を失っていく。積極的な意欲や関心をなくし、ただ時間だけが過ぎていけば、それでいいと思うようになる。よりよい仕事をしようとか、高めていこうという気持ちもなくしてしまう。仕事が面白くないだけでなく、会社の人間関係も人生そのものもつまらなくなり、ただ耐えるためのものになってしまう。

自分の大切な信条や自分が大切にしているプライドを毀損されるような状況を味わい続けることは、強いストレスになるだけでなく、それに耐え続けることは、その人を病ませることになる。

主体性侵害型の適応障害

まさにこれです。

○○性パーソナリティは、あくまでもベースであり、一般的には「個性」の範疇。その人の個性に全く合わない仕事に着けば、早い段階から「適応障害」になるのかもしれませんが、大変なことはたくさんありましたが、私は二十数年間“楽しく”やってきました。

入社以来、仕事も趣味も似たような感じてやってこれたのは、最初の上司のお陰と言うか、とにかく放任主義で、「仕事は自分で探してやったことを報告しろ」という上司の方針があったため、「結果的に会社の利益になる」さえ外さなければ、好きなことをさせてもらえました。いろんな部署に出向いて担当者と話が盛り上がった勢いでいろんな開発もしてきました。2003年くらいからは会社のWebサイトも担当することになって、こちらも「社外の人が見るもの」という意識があるのなら、私の考えで進めることができました。

しかし、ちょうど趣味がデジカメ遊びから自転車遊びにシフトした時期からは、何かしら「仕事」に対する不満が増殖してきて、年々「趣味が全て」のような生活になってきていました。仕事に対する“やりがい”が感じられなくなった時期と、会社内の出来事をマッチングしたところ、ちょうど社内の体制が変わった時期と一致します。

放任主義の上司が移動になったり、経営陣の体制が変わったことで管理職に対する要求なども変わり、いろいろと仕事がやりにくくなったのです。要するに、物事が分かっていない人たちがあれこれと口出しするようになったのです。

元上司の時代の部下は、全てを任せてもらえるから気合も入り“やりがい”もあったわけです。

放任主義で相談役のような管理者は今の時代に求められていないようで、とにかく干渉したがる人ばかり。なぜ干渉するのかは自己保身のためです。管理者が自分よりエライに人に何か言われたときに自分で応えられないと困るからです。昔なら「○○君がやってくれています」「○○君が上手くやりました」で済んだ話でも、現在は実担当者が誰なのかはどうでもいいようで「その件はこうなっています」といかにも自分の口からエライ人に報告する管理者たち。

自分がしたいことをしたい方法で部下にやらせようとする管理者。

自分がしたいことをしたい方法で自分でやることが好きな私ですから、管理職という肩書を外してもらった経緯があるため、現状の体制には非常に不満があるわけです。

Webサイトに関しては途中から営業部門の管轄になってしまったため、当初のような自分の考えで好き勝手できていません。「こうすればいい」と思いついても、「はいそうですか」とはならない現状にはストレスが溜まります。さらに管理者がつまらない干渉をしてくるため、さらにストレスが溜まります。

野鳥を鳥籠に押し込めているようなものです。

ということで、「主体性侵害型の適応障害」で確定のようですが、それだけで済めば「心が折れる」段階までいきません。書籍に書かれていた「安全基地」が重要なのです。

仕事に不満があって、心が不安定になっていても「安全基地」があれば、なんとかやっていけます。なんらかの「適応障害」になった時に「安全基地」がなければ、どんどん悪化して「うつ病」になってしまうのかもしれません。

こうして書籍を読むことができる精神状態に戻れたのも、「安全基地」の修復段階にあるためです。私にとっての「安全基地」とは「夫婦仲」であることがようやく分かった51歳の春でした。



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