知られざる2007年問題?

今日の日記は久々に気合が入っています…。

知られざる2007年問題

これを読むと「そんなもの団塊の世代の人たちの“傲り(おごり)”だろ」と思えてきます。そして何かと「団塊の世代」を美化したがる風潮にあると感じるのは私だけでしょうか。

“団塊の世代”と呼ばれている人たちが「自分達は頑張った」「戦後の日本を立て直したのは自分達だ」「自分達の時代は良かった」という考えを持っており、それをアピールし続けたことで「団塊の世代」という言葉が定着し、世間もそれらの世代が何か特別なものであるかのように刷り込まれていったのではないのか。

戦後に本当に頑張ったのは戦後生まれの人たちではなく、昭和初期から戦時中に生まれた人たちだろうと私は思っており、これからもその考えは変わりません。「団塊の世代?だからどうした。戦後のベビーブームの中で生まれた人たち。ただそれだけのこと」

「知られざる2007年問題」の記事の一番最後に書かれている「漆原 茂 氏」を読むと私が同世代ということもあり「そうそうこの人、よく分かっている」と共感します。

一部引用しますが、漆原氏の『むやみにベテランを賞賛する風潮には疑問を感じる。確かに見習うべき点も多いが、いまの若者だってベテランに劣らず優秀だ。オジサンからすると頼りなく見えるかもしれないが、取り組んでいるシステムの難易度は昔よりも格段に上がっている。』には「まさにその通りである」と私は断言します。

自分達の世代を美化しすぎていると感じられる文面を引用します。

有賀 貞一 氏『こうした環境で悩み、考え、開拓し、情報化の本質を体得してきたのが、団塊世代のエンジニアである。後にも先にも、企業システムをゼロから作り上げた経験を持つのは、この世代だけではないか。ITを使ったビジネス・プロセスやシステム・アーキテクチャの立案から、社内外の調整、プログラミングまで何でもこなした。誤解を恐れずに言うと、団塊後の世代は、出来上がったシステムに手を入れているに過ぎない。こうした若いエンジニアが、ゼロ・ベースで考える力を持っているのだろうか。残念ながら「極めて怪しい」と私は見ている。』

このように言い切るのは大手IT企業の“過去に苦労して今はエライ人になった”人だからであろう。現実問題として中小企業の社内SEは今でも1から10まで全て自分でやらざるを得ない状況にある。そしてやっていることは20年も30年も昔に比べると遥かに高度なものである。私から言わせれば「昔なんか“できること”が限られていて、その枠内で業務をシステム化すればいいだけ。その方法はベンダーが持っている事例などを参考にすればなんとかなる。問題なのは経営陣と現場への説明と説得である。」程度の話である。

ところが今は事例を真似する時代ではない。「いろんな企業がこんなことをやり始めたから、うちもやるか」なんていう考えで昔は通用した。しかし、今は「うちはどうしていくべきか」という先が見えないことに取り組まなければならない。よって「どうすべきか」には事例など存在しない。事例があるとしたら「やるべきこと」が確定した後の「方法論」だけである。

2007年問題の根本にあるのは、あのニキ・ラウダ発言『いまのF1は猿でも運転できる』と全く同じだと思えるのは私の勘違いではないはず。つまり「昔の人たち」というのは「今」を知らないだけのこと。


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