子供会というものは

私の子供の頃には「子供会」というものはありませんでした。

当時の親たちは非常に忙しく、生活のための共働き家庭が殆どでした。子供のために新しい組織を作って何かやるという余裕などまったくなかったと今振り返ればきっとそうだったんだろうと私は思っています。

私が高校を卒業した頃からでしょうか、小学生の親御さんたちが子供会というものを発足して学校区内の地区別で活動するようになりました。その時期になると生活のために必死に働くという段階を突破して、子供のために何かしてあげようという“余裕”ができたのかもしれません。

私の地元で「子供みこし」が始まったのもちょうどそのころのようです。

時代は変わり、21世紀の今、「子供会」そのものや長年続けられてきた地区の行事そのものの存在価値に疑問を持っている人は大勢います。「子供会の役員」や「地区の行事の役員」を選ぶのに非常に苦労し、そして役員になった人たちは苦労の1年間を過ごします。肝心の子供たちすら、子供会の行事よりも優先すべき事柄が増えてきており、子供会の行事に参加しない、またはムリに参加しているのが現状です。

「時代は変わった」誰もがそう思っているハズなのに、そのことをまともに議論できない雰囲気。「そんなにもめるのなら、この際やめてしまえ」と冗談半分で発言する人がいれば「そんな極論を言わないでくれ」と反発する面々。

「長年続けてきたものをやめる」という勇気は誰も持ち合わせていない。もしやめたとすると永遠に「あの人がなくしたんだ」と言われる。きっとそれが怖いのだろう。

今の子供達は「子供会」というものがなくても何も困る事はありません。

子供会の役員さんたちが行事に参加してくれる子供達を必死に集めているのを見ているとほんと大変だなと思います。

学校が週休二日制になったことで、サッカーや野球のクラブチームに所属しやすくなり、休日の度に練習や試合に出かけている子供もいれば、習い事を増やしている子供もいます。学校や地区に頼らなくても「家庭」という枠内で親が子供のために何かをしてやるというのも非常に多いです。

つまり、昔と違いは今は選択肢が非常にたくさんあるのです。

「子供のために何かしてやる」というのは実の親が自分の子供に対して考えることであって、「自分の時代はこうしてきた」という“昔の小学生の親たち”が余計な口出しをすべきではない。

「子供会や地区で何かやらなければいけない」という義務的なものは今となっては余計なお世話でしかないのである。


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