デミオDで1泊2日のドライブを予定していましたが、急きょデミオDが入院することになったため、「自転車」or「ウォーキング」の2択となりました。
「ニローネフラットバーの実走編」ということで平谷まで往復するか、昨年同様にバラ観賞のためにROMA(改)で花フェスタまで往復するか、どちらにするか決めかねて朝を迎えましたが、どうにもこうにも頭痛がひどい。しかたなく食後に1時間ほど2度寝。
「自転車」ネタを諦めて、「ウォーキング」ネタに切り替えます。課題の「40kmウォーキング」のために少しでも歩くことに慣れる必要がありますが、近場を歩くのも退屈です。
そこで、自宅から行けるところまで行って電車で戻ってくるパターンを実行してみることにしました。どうせなら「企画モノ」を兼ねたいため、自力で知立まで歩いて、そこから東海道をトレースします。
9時35分ごろに自宅を出発。
10時44分、知立の松並木。ここから東海道トレースの旅になります。
ブロンプトンの旅の時も歌川広重の『東海道五拾三次』の浮世絵を見ると妙にハイテンションになったものですが、歩き旅だとさらに気分が高まります。
ここからが池鯉鮒宿となりますが、宿場町の面影は殆どありません。
11時15分、知立古城址で小休憩。自宅から8.23km地点ですが、すでに疲れを感じています。
朝の散歩の時は約50分間“早歩き”していますが、とてもそのペースで遠出はできないため、今日はペースを抑えて歩いている割に疲れが徐々に溜まっていきます。ただし、感覚としては徐々にというよりは急激に脚が動かなくなります。
観光案内板に「いもかわうどん」と書かれていたため、そのうどん屋さんで昼食にしようと歩きましたが、どこを見ても「うどん屋」が見つかりません。
『東海道名所記』(浅井了意)に三河の芋川の名ひらうどんについて記述が見られ、『東海道中膝栗毛』(十返舎一九)には今岡村のいもかわに名物の麺類がある旨の記述があり、『好色一代男』(井原西鶴)にも芋川という里に平打ちうどんという名物がある旨の記述がある。『嬉遊笑覧』(喜多村信節)では江戸の「紐革うどん」は芋川うどんが訛ったものと推測されている。芋川の場所については、現刈谷市の今川町、今岡町、一里山町と諸説がある。
wikipedia
つまり、この辺にうどん屋があったということのようです。
「境川」を越えると「尾張」です。「三河」と「尾張」の境目が「境川」というわけです。
「国指定史跡 阿野一里塚」は街道の両側に残っている貴重な一里塚です。
13時28分、「桶狭間古戦場」跡地。自転車なら自宅から1時間ほどで到着する場所ですが、徒歩では4時間近く掛かっています。距離は17kmほどですが、既に疲労困憊で、歩くのが苦痛になっています。
有松の街並み
偶然にも今日は有松のお祭りでした。
そういえば「ブロンプトンの旅」の第一弾だった『東海道を走る「岡崎~熱田」』の時も有松のお祭りの日でした。何やら運命みたいなものを感じますが、徒歩で日本一周はムリです。
『東海道中膝栗毛』の弥次さんと喜多さん。昔の人は歩き旅ですから大変なことです。そろそろ脚というよりも精神的に限界です。
ようやく「鳴海宿」に入りました。それにしても手書きの看板しかないとは…
この機会が無ければ立ち寄ることはない「鳴海城跡」。織田信長と今川義元の戦でいろいろあった城のようです。
鳴海宿の本陣跡。「ブロンプトンの旅」で取りこぼしていたので、発見できて良かったです。これは徒歩じゃなければ見落とします。
「今日は七里の渡し場跡まで行ってみるか」という気合はいつの間にか無くなっていて、「もう勘弁して」という気分です。
ということで、名鉄の鳴海駅を今日のゴールとしました。時刻は14時53分。
歩行距離は20.8kmでグロスアベレージは3.9km/hでした。休憩多めとはいえ遅すぎるペースでした。
「疲れずに40km歩く」までの道のりは遠そうです。
最寄駅から自宅までは再び歩き、本日のウォーキングは34084歩でした。