東北遠征「戦国武将と松尾芭蕉の足跡を巡る旅」

2013年4月16日、17日

残り二日となった「東北遠征第一弾」ですが、戦国武将ゆかりの「米沢」、「仙台」、そして芭蕉ゆかりの「松島」という濃密な観光サイクリングを楽しみます。

福島・山形・宮城

20130416福島~山形
距離:140.1km
高度上昇値:1,492m
平均スピード:18.9km/h

20130417山形~仙台~松島
距離:111.8km
高度上昇値:943m
平均スピード:20.5km/h

五日目


福島の宿の朝食バイキングは大満足の内容でした。朝食をたくさん食べておけば昼食をあまり食べなくても走ることが可能。


元禄二年五月一日、福島で一夜を過ごした芭蕉と曾良。福島、山形、宮城では至る所で松尾芭蕉『おくのほそ道』の足跡を見ることができます。


こちらも桜鑑賞地で有名らしい大笹生十六沼。


福島県とお別れしていよいよ山形県に突入。写真を見ての通り旧道を走って米沢に向かいます。


えっちらおっちら旧米沢街道を上っていきますが、思いのほか急坂で朝から疲れます。


新上杉歴史街道 旧米沢街道 よく分からないダブルネーミングですが、この道が旧米沢街道であることは間違いないようです。それにしてもどこまでも続く急坂。


雪景色の中をヘトヘトになりながら上ってきたのに、目の前に絶望的なゲートが。。。さすがにこの状況では「突破」など思うわけありません。ここを通れなければ苦労して上ってきた道を戻り、改めて国道を走るしかありません。すべて無駄だったのかといえばそういうわけではなく。。。


ネタ的に立ち寄ってみたかった駅。その名も「峠駅」。奥羽本線内で最も高い位置にあり、この駅を頂上としてそれぞれの方向に下り坂となっているため、まさに「峠」に相応しい駅です。つまり、ここから先は「下り」となるのですが、旧米沢街道の迂回路も閉鎖されているため、上り口まで戻る必要があるということになります。


マニアックなのは駅名だけではなく、このように新幹線が通るのです。鉄道マニアなら、かぶりつきでしょうか。なかなか見ることができない光景ですよ。


ここには、もう一つネタがあります。近くの茶屋であるものを購入。さて国道まで戻って、再びえっちらおっちら上ります。


米沢市の松が岬公園に到着。謙信公と記念写真。妙にテンションが高まります。


大河ドラマ「天地人」の放送記念で建てられた「上杉景勝公と直江兼続公 主従像」。「天地人」の放送期間中に訪問したかった米沢にようやく来ることができました。


お土産。


上杉神社を参拝。


米沢の桜も開花が遅れています。東北地区は少し山に入るだけで桜の開花時期が随分違うようです。


米沢藩主上杉家墓所


中央の奥が謙信公のお墓。向かって左が景勝公のお墓。


今日の昼食は峠駅の茶屋で購入した「力餅」。さすがに一度で食べるには飽きてくるので、半分は夜食にしました。


米沢市から山形市までひたすら走るのも疲れるのでちょっと寄り道して「上山城(月岡城)」で一休み。写真の城は二の丸跡に建てられたよくある模擬天守です。


山形市の霞城公園に到着。石垣を眺めていると、ここに城があったことが分かりますが、ただただ広い公園という感じです。


最上義光之像


「二の丸東大手門」こういうのがあれば城跡ぽい雰囲気がします。時刻は15時45分、宿に入るにはまだ早すぎます。明日のスケジュールに余裕を持たせるために今日のうちに山寺(立石寺)に行っておきます。


16時34分、山寺。


「閑さや 巖にしみ入る 蝉の声」by 芭蕉。


山寺散策マップを見る限り、入山できるのは17時まで。さらに散策時間も結構必要のようで、今から入山しても時間が足りません。


諦めて山形市内に戻り、夕食タイム。ここは山形ですが牛タン定食をいただきました。

六日目


山形市内のビジネスホテルは珍しく健康的な和食定食。


天童公園も桜の名所のハズですが、残念ながら全く咲いていません。会津若松、喜多方、米沢、山形は桜の開花時期が同じなのかもしれません。


山形県から宮城県へ。相変わらず県を越えるというのは峠がもれなくついてくるものです。


宮城県に突入。県境で撮る記念写真には、いつも妙にテンションが高まります。これが旅人の性というものでしょうか。


ちょうど桜が見ごろになっている宮城縣護國神社を参拝。


仙台城(青葉城)の伊達政宗公と記念写真。これで国盗りゲームの新潟、福島、山形、宮城もクリア。


独眼竜政宗。貫禄ありますね。


ちょっと宮城球場に寄り道。


あっ、楽天の18番ということはマー君のサインですね。この遠征の時は、東北楽天ゴールデンイーグルスが日本一になるなんて想像すらできなかった。


多賀城市の「多賀城」。多賀城がそのまま市名になったようです。

奈良盆地を本拠地とする大和朝廷が蝦夷を制圧するため、軍事的拠点として蝦夷との境界となっていた松島丘陵の南東部分である塩釜丘陵上に設置した。創建は724年(神亀元年)、按察使大野東人が築城したとされる。


これが「政庁正殿跡」らしいのですが、パッと見は桜が綺麗な公園で市民の憩いの場という雰囲気。


桜の名所の「西行戻の松公園」。なぜか全く開花していません。仙台市内は満開ですが何故なんでしょう。


そしてここがなんちゃって松島ではなく、本物の「松島」。


有名な「松島や ああ松島や 松島や」は芭蕉作ではありません。芭蕉は松島の景色に感動の余り思うように句が作れなかったということになっています。

しかし、日本全国あちこちと旅していると「これが我を忘れるほど感動するような素晴らしいの景色なのかな~」が私の正直な感想です。


みちのく古寺巡礼「四寺廻廊」の一環で松島の「瑞巌寺」に立ち寄ってみます。


何かが漂っていそうな神秘的な洞窟群


平成30年3月頃まで瑞巌寺の本堂は改修工事中です。その代わりに本堂と共に国宝に指定されている「庫裡(くり)」が特別公開されていて歴代藩主の位牌等を間近で見ることができます。


瑞巌寺境内にある淡紅色の梅「臥龍梅(がりゅうばい)」


梅と桜の競演。


そして有名な「五大堂」。

日本三景の1つである景勝地・松島の景観上重要な建物であり、本州海岸に近い小島に建つ。伝承によれば大同2年(807年)、坂上田村麻呂が奥州遠征の際に、毘沙門堂を建立したのが始まりとされる。その後、円仁(慈覚大師)が延福寺(瑞巌寺の前身)を創建した際に仏堂を建立し、大聖不動明王を中央に東方降三世明王、西方大威徳明王、南方軍荼利明王、北方金剛夜叉明王の五大明王像を安置したことにより、五大堂と呼ばれるようになった。現在の堂は、慶長9年(1604年)、伊達政宗が瑞巌寺の再興に先立って再建した。東北地方最古の桃山建築と言われている。


時間調整のため松島の海岸をぶらぶらしながら松島駅へ向かいます。


16時46分、今回の遠征のゴール「松島駅」に到着。


最後に仙台空港で「仙台辛みそラーメン」をいただきました。別皿提供の辛味噌を自分好みの分量を入れて味を調整しますが、全部入れると汗だくになります。

6日間の合計
距離:580.6km/h
高度上昇値:5655m

交通費
39,460円

宿泊費(夕食、朝食含む)
34,221円

旅費合計
96,984円



関連エントリー