「やりがいのある仕事」という幻想


「やりがいのある仕事」という幻想

仕事に勢いが持てなくても、
すごい成果が残せなくても、
人が羨む職業に就けなくても、
きみの価値は変わらない
人々は、仕事に人生の比重を置きすぎた。
もっと自由に、もっと楽しく、もっと自分の思うように
生きてみてもいいのではないだろうか。
成功するとはどういうことなのか?
良い人生とは?
すり切れた心に刺さる画期的仕事論!
■目次
まえがき
第1章―仕事への大いなる勘違い
第2章―自分に合った仕事はどこにある?
第3章―これからの仕事
第4章―仕事の悩みや不安に答える
第5章―人生と仕事の関係
あとがき

森博嗣氏の小説を買ったことも読んだこともありませんが、エッセイ本はいくつか購入して少しずつ読み進めています。森博嗣氏の思考が私には妙に合うようで毎回“納得”というよりは“共感”の連続です。たぶん、何かあっても宗教などに流されない人に合うような気がします。

さて、『「やりがいのある仕事」という幻想 』を読んだ限り、読者ターゲット層は3つだと思います。

まずは、就職する前の学生。その中で夢や希望を持って就活しているけどなかなか上手くいかない人。

次に、サラリーマン人生を送ってきて、そろそろゴールが見えてきた50歳過ぎのおっさん。その中で、もうひと頑張りするのかやめておくのか悶々と過ごす日々の人。

そして、30代、40代の仕事をばりばりしている世代。その中で、自分では頑張っているつもりなのに上手くいっていない人。

そのような人たちが『「やりがいのある仕事」という幻想 』を読めば、悩んでいることがアホらしくなってくる可能性は高いです。

私の場合、数年前から昇給がゼロになりました。十数年前に勤務先の人事制度が大幅に改定されて、よくある等級制度が作られたのです。等級ごとに基本給の上限が設定されているため、いつまでも等級が変わらなければ、そのうち昇給ゼロになるという仕組みです。

仕事の実績が数字で出やすい部署、さらに部内の組織がしっかりしていて、部下とか後輩などがいれば、自分の成績プラスαもろもろで等級アップが可能です。ところが、数字に出ない、何をやっているのか理解されない、面倒を見る後輩もいないという状況だと、殆ど評価されません。よって私は20年間も役職が変わっていません。

で、「上司から次回から昇給はありません。等級が上がるように頑張ってください。どうすればいいのかは自分で考えてください」と説明された時は、もうゴールが見えているわけだから、いまさらプライべートの金と時間を使ってまで昇進するのかどうか基準すらないことなどやってられないということで「分かりました。もういいです」と現状維持を宣言。ゴールまでに上乗せされる対価の合計金額はせいぜい100万円から200万円ですので、その程度の違いなら、今さら頑張る必要性は感じられません。仮に頑張ったあとに得するのは会社側ですから。何か残したものに対してそれが機能している間は対価を支払ってもらえるのなら頑張りますよ。



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