歩き旅東海道編「藤川宿~池鯉鮒宿」

歩き旅の最初のネタだった「東海道編」が全く進まないためハイキングの予定を急きょ変更して「藤川宿~池鯉鮒宿」の区間を歩くことにしました。

「必ずルートを接続する」ルールを守るためには「池鯉鮒宿」をスタートまたはゴールに設定する必要があります。できればいつでもリタイアできるように池鯉鮒宿から東へ向かいたいのですが、なぜかガイドブックはすべて東京から京都へ向かう説明になっているため、ただでさえ難解な東海道を逆向きに進むのは間違いなくコースアウトします。

区間距離を調べてみると「藤川宿~池鯉鮒宿」の距離が20kmちょっとのようです。これなら無理なく昼過ぎにはゴールできるはず…

でしたが、思いのほか苦行になりました。


午前8時ごろに名鉄の藤川駅をスタートします。すぐ隣の道の駅でトイレを済ませ、ドリンクも確保しておきます。


少し歩き始めて間もなく「吉良道 道標」の石碑が現れました。歩き旅愛知県編の南ルートも中途半端に止まっていますが、ここをゴールに設定すれば良いのかもしれません。


藤川の松並木。日陰に入れば涼しさを感じます。


相変わらず東海道は分かりにくいです。旧道が国道一号から外れる場合でも案内板がありません。100mほどで気が付いたため戻りましたが、仮に通り過ぎて300m先で気がついてもそのまま諦めます。歩き旅でコースアウトするとタイムロスだけでなく精神的に疲れます。


そろそろ岡崎宿に近づいてきました。「西大平藩陣屋跡」まで90mなら立ち寄ってみますか。


立派な門構えです。これなら少し期待できそうですが…


空地でもなく公園でもなく、よく分からない敷地でした。


「一里塚」が現れたら約4kmで宿場町跡に着くということです。


さて、複雑怪奇な「岡崎城下二十七曲り」と入り口です。複雑すぎて、いまだにコンプリートしたことがありませんが、今回は徒歩ですから何とかなるはず。


曲がり角にはこのように金のわらじのオブジェが設置されています。ここに次の曲がり角まで〇〇mと書かれているため、それを目安にしますが、この区間だけは詳細な地図を手に入れておきましょう。


古い街「岡崎市」らしく交通量が多い道沿いにも古い建物も残っています。


創業はいつの時代なのでしょうか。ここだけタイムスリップしたような光景です。


「岡崎信用金庫資料館」は大正6年に旧岡崎銀行本店として建造されたものです。


敵の攻撃をじゃまするためだったとはいえ、まっすぐ進めばすぐそこにある「岡崎城」になかなか辿り着きません。「二十七曲り」から離脱して伊賀川沿いに南下します。


岡崎城の門が「二十七曲り」のゴールです。実は「二十七曲り」を最後までトレースすると東海道から外れて岡崎城に戻ることになるので、伊賀川で「二十七曲り」を諦めたほうが良いです。※東海道を完全トレーズすると岡崎城を通りません


五平餅をいただきます。


グレート家康公「葵」武将隊


徳川家康、酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政、稲姫が華麗に舞います。時間がないため冒頭の10分ほどで離脱。


さて、ようやく後半の区間に入りますが、すでに時刻は11時17分になっています。予定では休憩込みでも10時30分でしたので、どこでタイムロスしたのでしょうか。


過去に何度も訪れたことがある「八丁蔵通り」を今日も散策します。


江戸からの老舗2社が国の「八丁味噌」ブランドから外されてしまいましたが、本家が外されるというのはどういうことなのでしょうか。


名鉄電車は赤い車両が似合います。さて矢作川を渡ると残りの区間は“ひたすら歩く”のみです。前半区間での遅れを後半で挽回できると良いのですが。

歩き旅にも経験則が必要になるため、本格的な歩き旅に入る前にデータをとっておきます。


国道一号を歩く区間は妙に暑く感じるため、車も気温上昇の要因になっていると思えてきます。交通量が少ない旧道に入ったとたんに気温が下がるのが分かります。


ひたすらひたすら歩く。というのは残念ながら無理だったようで途中で小休憩を何度もいれて、ようやく知立の松並木に到着。


14時49分、疲労困憊状態で池鯉鮒宿に着きました。ここから宮宿までは既に歩いたため、今日はここがゴールです。


名鉄の知立駅まで歩くのはキツイなと思っていたら、なんと三河知立駅がこんなところに。一度も利用したことがなくこの先も縁がないと思っていた駅を使う機会があるとは。

ということで13時頃には余裕でゴールできるはずという勘は大外れでした。しかし、どこでタイムロスしたのか分からないため、もう少し20kmから25km程度の距離でベンチマークする必要がありそうです。区間40kmは手応えを掴んでからとなります。




関連エントリー