本日、Webサイト(ホームページ)のリニューアル案を○○に説明したのだが…
「このページなら訪問者に安心感を与えます」とか「安心して見てもらえます」って説明したら、「お前は俺と同じで古い人間だ」って言われ「今の世の中、不確実なことが多いので“安心”ではなく“信頼”だ」とお説教されてしまった。
「安心と信頼の違いはなんだ」と聞かれるものだから「信頼の場合、信頼できる会社、信頼できる社員、信頼できる商品のようにものを示し、安心は人の感覚を示す」って返事したのですが、「これからは信頼なんだ」と力説され肝心の“違い”の部分の答えは言ってもらえなかった。それにしても、なぜ怒られたのか訳が分からん。
納得できなかったので、ネットでチト調べてみた。
山岸俊夫っていう人が「安心社会から信頼社会へ」っていう本を執筆したらしいことが判明。その本の解説を読む限り○○が言っていたことと一致する。しか~し、「これからは信頼じゃなきゃダメだ!」なんて宣言しているのは、この人だけだ。
そもそも安心と信頼の使い方が違う。
「彼は信頼できる人物だから安心して仕事を任せられる。」って使うでしょ。
「安心して眠れる」っていうけど「信頼して眠れる」なんていわない。
「この製品は安心して使える」っていうけど「この製品は信頼して使える」なんていわない。
「信頼できるメーカーの製品だから、安心して使える」でしょ。
「信頼できる製品」ともいうが、この場合は「なぜ信頼できるのか」という根拠が必要である。
まあ大げさに言っても
「□□□□は信頼できる△△△△△メーカーです。安心して○○○○をお使いください。」っていうのは分かるが、「安心じゃダメ!信頼だ!」って力説されてもね。
大抵は「安心と信頼の○○○(社名)」って両方とも記述しているね。「安全・安心・信頼」というのも多い。
念のため、国語辞典で調べてみた。
【安心】
心が安らかに落ち着いていること。不安や心配がないこと。また、そのさま。
「母を―させる」「彼にまかせておけば―だ」〔「安神」とも書く〕
【信頼】
信じて頼ること。「人を―する」「―を裏切る」「―性」「―度が高い」「―が置けない」
なんとなくですが、
「安心」は自分が基準で、「信頼」は相手が基準だと思う。
「彼は信頼できる人物だから、安心して任せられる」
「彼は信頼できる人物だが、少し不安がある」
「信頼できる人物」というのが自分から見て「信頼できる」だけではなく客観的に見て「信頼できる」ということならば、「信頼できるが安心できない」という表現もある。
「母を安心させる」
この場合は、母が安心していられるかどうか母の立場になって考えてみるという行為が発生するので、やはり基準は自分だと思う。
「人を信頼する」って本当に使うのでしょうか。「人を信用する」なら使うが。そもそも「信頼する」って正しい表現なのか。「信頼して~する」「信頼できる」「信頼できない」「信頼できる○○は、
「この場合はどっちを使う?」って質問された場合は、必ずどちらかしか当て嵌らないので、やはり使い分けしているのでしょう。
「オレを○○させてくれよ」
さてどっち?
「弊社はお客様から○○される企業~」
はどっち?
山岸俊夫著「安心社会から信頼社会へ」
ダイジェスト版が載っているサイトが見つかったのでちょこっと読んでみましたが、さっぱり分かりません。「この人は何を言いたいんだろう」と思いつつ5回も読み直したがまだ理解できません。
「まるで六法全集みたいだ!」と腹が立ってきた。
http://www.asahi-net.or.jp/~eh6k-ymgs/book/japan/shinrai/anshin-shinrai.htm
思わず第1章で挫折。
この文章には「人に読んでもらう」という意識を感じられない。
ネットで、もう少し検索してみたら、「やっぱりね」というのを発見。
明治学院大学2003年度社会人入試
法学部消費情報環境法学科夜間コース
第二次選考 小論文
課題図書「安心社会から信頼社会へ」
注:安心と信頼の違いに注目して読むこと
だそうです。
法学部の入試に使われるような本を私が理解できるわけ無い。素人向けに翻訳してくれ。
「安心社会」って具体的に何なのか考えてみて、もしかしたらという例を思いついた。
「名鉄バスに乗って通勤している人たち」
この人たちはバスに乗っていることに対して不安感を抱いているのでしょうか。
大多数の人が何も考えていないと思いますが、あえて「安心か不安か」と訊ねたとすれば「安心」と答えるであろう。 (「不安なら乗らない」と逆ギレされるかもしれない)
これが山岸氏の「安心社会」なのかもしれない。
その安心の背景には「信頼できる名鉄なんだから」 「その会社で教育と訓練を受けた運転手なら信頼できる」「バスも故障しないよ」という信頼の積み重ねの上になりたつ安心があるのでは。
しかし、「バス」に関する事件や事故が度々発生しているので安心社会にどっぷり浸かっていると危険だ。
だから「信頼」をもう一度見直そう。
ということなのでしょうか。
ここでもう一度、ネットで検索したら山岸論を素人向けに説明しているページを発見。(本の紹介ページ)
http://www.asahi-net.or.jp/~eh6k-ymgs/book/japan/japan.htm
いやな世の中になってしまうのですね。
そう感じる私はやはり古い人間なのか。というよりも生粋の日本人であるのかもしれない。
ということで、「安心と信頼の違いはなんだ」などと力説せずに「日本も欧米社会のようになっていく」と説明して欲しいものだ。
○○の力説が部長(課長も?)たちに正しく伝わらない理由がなんとなく分かった事件でした。
「オレが言っていることが分からないなら、この本を読め!」これでOK。
でも「本だと心に響かない」なんてアホなことを言う部長さんがいるくらいだから「この本を読め!」じゃダメなのか?
山岸論を素人向けに翻訳してくれているページをいくつか巡回したところ、日本の風土に適した(適していた)「安心社会」とは信頼の積み重ねの上に成り立つ「安心」というわけではないらしいことが分かった。
信頼を意識する必要がない状態にある社会を作り出し、そこに存在する「安心」のようである。
つまり、他人は自分に対して悪いことをするわけがないという前提条件があるからこそ人は安心して暮らしているとのこと。
どうやら、この難解な本を読んでみないと(きっと苦痛だろうな)、いけないようだ。
さっそくAmazonのページを開き、「ポチッ」。