世の中、巨人が好きだという人もいれば嫌いだという人もいる。その「嫌いだ」という人たちのことを「アンチ巨人」と呼んでいるのであろう。
今年、巨人が圧倒的な強さで西武を倒し日本一になったことで、ますます「アンチ巨人」の人たちは巨人が嫌いになったかもしれない。巨人が日本一になって喜んでいる人たち、その一方でそれを不満に思っている人たち。
ここで一つの疑問が頭に浮かんだ。
「“アンチ巨人”とは何なのか」
阪神ファンは「阪神ファン」であって「アンチ巨人」じゃない。同様に中日ファンは「中日ファン」であって「アンチ巨人」じゃない。その他球団のファンも同様。
ならば「アンチ巨人」とはなんぞや。
幼少の頃、好きなテレビ番組を「巨人」のせいで観ることができない状況が続いた。
その状況とは2つ考えられる
1.番組そのものが「巨人のテレビ中継」のため何週間も放送されない
2.他チャンネルで観たい番組があるが、父親とのチャンネル争いに勝てず観ることができない
この状況が長年続いたことで、いつしか「巨人」を憎むようになった。
自分でテレビを所有するようになれば「チャンネル争い」など関係ないが、「1」の状況は変わらない。高校生くらいになればテレビ番組に固執することはないので、「巨人のテレビ中継」が「アンチ巨人」を生み出す土台とはいっても真の原因とはいえない。
ならばどのような人が「アンチ巨人」になってしまうのか。
野球そのものに興味が無ければ「アンチ巨人」にはならない。そもそも野球に興味が無い人にとって、「巨人」のことなどはどうでも良いことなのだ。
「野球そのものが好きだ」「野球に興味がある」「野球を観戦するのが好きだ」
この「観戦」を主観的に楽しむためには「応援」という要素が含まれる。ただ「野球」を観るだけでは面白くない。
“応援する”人たちが「ファン」であるといえる。
さてここで一つの分岐点が訪れる。
「どのチームを応援するのか」
それは育った環境が大きく影響するであろう。
この「影響」が何なのかが重要である。
では「アンチ巨人」になってしまう可能性を考えてみると
a.身近に巨人を嫌う人がいる
b.子供のころの「巨人のせいで好きな番組を観ることができなかった」というトラウマを抱えている
c.「強い」のが嫌い
d.天邪鬼な性格
この中の一つでも当てはまれば「アンチ巨人」なってしまうのかといえば、そうではないだろう。
いろんな要素が絡み合った結果、いつしか知らないうちに「アンチ巨人」になったハズであるが、本人になぜ「アンチ巨人なのか」と尋ねたらきっと「強いのが嫌い」と答えるであろう。他にもいろんな要因があるハズだが「強いのが嫌い」と答えておけば理由としてはカッコが良いのであろう。
どのチームを応援するかではなく、巨人以外を応援する。
そしていつしか「好きなチームが勝つことを祈るのではなく、巨人が負けることを祈る」ようになった。
つまり「好きなチーム」などない。
アンチ阪神、アンチ中日、アンチ広島、アンチ横浜、アンチヤクルトがないのがその証拠。野球が好きならば、嫌いなチームなどあるわけがない。
「アンチ巨人」について私は以上のように思っている。
私が巨人ファンになったのは何時からか?
子供の頃は何も分からず、とりあえず「中日」を応援していました。それは父親が中日ファンだったから。弟は今でも中日ファンです。
はるか昔、中日が優勝したシーズン、それは巨人のV10を阻んだ瞬間でもあった。たぶんその時から「チームを応援する」という意識が芽生えたのだと思われる。そしてその瞬間から巨人ファンになったのだと記憶している。
「巨人の星」や「侍ジャイアンツ」の影響もあるかもしれません。年を重ねる毎に「選手」に興味を持つようになり、チームよりも選手が好きになった。結局のところ好きな選手がいるチームだからチームも好きである。
ちなみに私は 巨人vsヤクルト の試合が一番好きです。巨人が勝っても負けても「良い試合」だと思えるから。それから「甲子園」での 巨人vs阪神 も好きだ。
巨人以外のチームの選手では、セで力(ちから)勝負を見せてくれる“ロケットボーイズ(五十嵐&石井)”が好きです。藤井投手も良い。
なんだかんだと言っても「巨人vsヤクルト」が一番面白いと私は思う。
ヤクルトファンに「アンチ巨人」が多いと噂で聞く。もし本当にそうならば先ほど書いた「つまり『好きなチーム』などない」と矛盾してしまう。
しかし、彼らは本当に「アンチ巨人」なのだろうか。私は違うと思う。熱狂的なヤクルトファンゆえに一番盛り上がる巨人戦でその熱狂振りを発揮してしまい、その言動・行動が「アンチ巨人」だろうと見られてしまう要因だと思われる。
もしかしたら、真の「アンチ巨人」の人たちがヤクルトファンのつもりになって「巨人vsヤクルト」でヤクルトに声援を送り、巨人に罵声を浴びさせているのかもしれない。