今夜の「ガイアの夜明け」は「ものづくり神話よ再び ~ソニーの新たなる挑戦~」のタイトルそのものの内容で、ソニーらしさを視聴者にアピールするに値する番組でした。
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http://bb1.tv-tokyo.co.jp/gaia/preview/bk20030701.php
昔、昔、私が学生の頃のSONYはユーザから見て素晴らしい企業でした。今思えば、私もSONY信者の一人だったかもしれません。何か問題があったとしても「It’s a SONY」それで全て許せてしまいました。「SONYだからいいんだよ」とね。しかし、月日は流れ、いつの間にか私の中では「SONYも単なる電器メーカーのひとつ」と捉えるようになっていました。それがいつなのか分かりませんが、とても「魅力ある企業」とか「SONYだから」といえるような雰囲気ではありません。それはバブルに踊らされ、その後のデフレ時代に突入に伴い、コスト競争に巻き込まれ、韓国、中国生産品に対抗することばかり考える製造業たち。SONYもその濁流に飲み込まれていたのでしょう。原点に返り、ユーザが魅了するようなモノ作りを目指す、今ならまだ間に合う、経営陣の英断があるからこそSONYらしさを今後取り戻すことができるかもしれない。
SONY と同様にHONDAも好きなメーカーでした。私が学生の頃、HONDAとSONYは非常に似たような雰囲気がする企業でした。車と家電、まったく分野が違う企業を比較する方がおかしいと私の周りの人は言っていましたが、“雰囲気”とは分野など関係ないもので、ユーザの立場からそのメーカーに対してどのように感じるかという面で“似ている”と私は思ったのです。そしてSONY同様にHONDAにもいつの間にか魅力を感じられなくなりました。企業の利益などは二の次にして、常に新しいことへチャレンジし続け、ユーザに魅力ある製品を提案していく姿勢、そういうものに企業としての魅力を私は感じます。よって「HONDAファンが喜ぶ車」ではなく「一般消費者に売れる車」を作り、HONDAという企業のために車を作っているように感じられるHONDAには何も魅力を感じないわけです。既に始まっているかもしれませんが、HONDAは日産と同じ道を歩むことでしょう。
さて、「ガイアの夜明け」の話に戻りますが、番組としては“コクーン”と“クオリア”の2本立てで、そこに関わった人々に焦点を当てるという人間模様を描いたものでした。“モノ作り”そこには“人ありき”、最近やたらと“○○のDNA”が流行っているがSONYもご多分に漏れず“SONYのDNA” と明言しているように、創業者から“モノ作り”のDNAを受け継いだ人々がいれば「SONYらしさ」の復活も有り得るであろう。