「アドラーの心理学」は気になりますか?

今になって何故か大ヒットしている「アドラー」ですが、その要因は「青年と哲人の対話」という一般受けしやすいようにアレンジした読みやすい「嫌われる勇気」にあるようです。

難解な話をいかに一般向けにアレンジするのかが伝承者の務めかもしれませんね。13年前に読んだ「デイル ドーテン(著) 仕事は楽しいかね?」に通じるものがありますが、どちらかといえば「嫌われる勇気」の手法は「仕事は楽しいかね?」のパクリではないのかとさえ思えます。

乗り遅れ感があるので、今さら「嫌われる勇気」を読む気にはなりません。

最近あれこれ読んでいる書籍には、アドラーの心理学ではカバーできない事柄が書かれているため、その筋の専門家からすれば、アドラーの心理学も“古いもの”となるようです。

とは言っても気になるので、「要するにどういうこと?」に該当しそうな書籍を購入しました。


アドラー『人生の意味の心理学』 2016年2月 (100分 de 名著)

フロイト、ユングと並び称される心理学者アドラー。その思想のエッセンスを紹介した『嫌われる勇気』がベストセラーとなるなど、いま注目を集めている。過去は変えられなくても未来は変えることができると説き、多くの人々を勇気づけているアドラー心理学を、『嫌われる勇気』の共著者がわかりやすく解説。

この書籍はNHKの「100分 de 名著」のテキストですから、番組のページを見ればだいたいのことは分かります。

100分 de 名著 アドラー「人生の意味の心理学」

書籍から気になった点を抜粋します。

アドラー心理学の特徴として挙げられるのが、人は誰もが同じ世界に生きているのではなく、自分が「意味づけ」した世界に生きていると考えることです。同じ経験をしても、意味づけ次第で世界は全く違ったものに見え、行動も違っています。

すなわち「価値観」であるわけですが、「価値観の違い」で終わらせてしまったら何も解決しません。価値観は人それぞれ違うものであるという前提であれば無用なトラブルを防ぐことができるかもしれません。

「AであるからBができない」という論理はBをしないための言い訳、口実としてAという理由を持ち出すこと。AとBには実際には因果関係などない。

仕事絡みでもよく出くわす場面です。やりたくない理由を一生懸命考えるものです。呆れるほど。

アドラーは、人間の悩みは全て対人関係の悩みであると考えていますが、対人関係の軸に「競争」があると思っている限り、人は対人関係の悩みから逃れることはできません。

なるほどとは思えますが、無人島で完全自給自足の生活をするのではなければ、他人との関わりを断絶することは不可能であり、少なからず何かしらの「競争」はあるものです。

自分を受け入れる一つの方法は自分の短所を長所に置き換えてみることです。

本人は短所だと思っていることでも他人から見れば長所かもしれないし、その逆もある。これについては心理学の書籍には必ず出てきます。ポジティブに考えれば全てが長所になり、ネガティブに考えれば全てが短所になります。

教育の世界では、伝統的に「叱ること」と「ほめること」が重視されてきました。しかし、アドラーはそのどちらも認めていません。

叱るという行為は上下の対人関係を前提としている。あらゆる対人関係は「縦」ではなく「横」の関係にあり、人と人とは対等である。

子供が大きくなっているのに親が叱ることになるようなことをするとすれば、全て確信犯だといって間違いありません。

叱られて育つと、人の顔色ばかり窺うスケールの小さな人間になってしまいます。

誉められて育った子供は、何かしようとする時に、承認されることを期待するようになります。

より重要なこととしては、ほめることも、叱ることと同様に、子どもを対等な存在と見なしていないということです。ほめるという行為も上下の関係が前提となっています。

ほめるということは、能力のある人が能力のない人に対して、上から下す評価の言葉なのです。ほめられたら嬉しいという人がいれば、その人は、自分に能力がないことを他者に認定されたいということであると知らなくてはいけません。

子どもが買い物を手伝ってくれた場合も、大人に接する時と同じように感謝の気持ちを述べるべきなのです。

貢献感を持てるということは、自分に価値があると思えるようになるということです。

叱られたり誉められて育った子供は、大人になっても、どうすれば叱られないか、あるいは、誉められるかということばかり考えるようになるという意味で、自分にしか関心を持てないようになってしまいます。

ここは誰しも疑問に感じる点だと思います。子供に対して「叱る」「ほめる」をしない親というのは、1歩間違えると「無関心」と捉えられます。ただ、大人になって仕事などで「頑張った私をほめて」などと言うようではどうかとは思いますが、恥ずかしがることなく「私は誉められて育つタイプ」などと言う人は親がそのように育てたのでしょうね。そう思うとアドラーが言っていることも理に適っています。

アドラーは「ほめる」代わりに子供に対しても感謝しましょうといっていますが、その後の説明で矛盾があります。

他の人からは「ありがとう」といわれることを期待しないことです。いわれることを期待する人も、承認欲求がある人といわなければなりません。

誉められて育った子供は誉められることを要求する。感謝されて育った子供は感謝されることを期待する。

ではどうすれば良いのでしょうか。

精神科医たちが「アドラー論では解決しない」と指摘している部分を推測してみると、たぶんですが「原因論と目的論」かと思います。精神科医が患者をカウンセリングしている時に、アドラー論を押し通しても解決しないことはド素人の私でも想像がつきます。

「困っている」「悩んでいる」「解決したい」という人にとっては、アドラーの心理学の書籍は役に立たないかもしれません。

人生いろいろあると、「別に誉めて欲しいわけでもないし、感謝して欲しいわけではない、自分がしたいことをやっているだけ」という思考になってきました。他人(家族も含む)に対して少しでも「やってあげた」という思いを持つと、相手からそれ相応の反応が無ければ不満を持つかもしれませんが、もともと何も期待しなければ不満に思わないし、良い反応があれば単純にプラスに働くだけのことです。そうしなければ心が病んでいきます。

例えば、夜中に会社からトラブルが発生したと呼び出しを食らって、会社に出向いて対応したとします。翌朝、そのトラブルを起こした当事者とか関係者から“感謝”されなければどう思いますか?

「対応してあげたのに何もないのか!」と腹を立てても仕方がありません。「仕事だから対応しただけのこと」と割り切ることが自分のためです。遊びでも複数の人が関わる時に「あれこれ段取りを組んであげた」と思わずに「自分が楽しむためにやった」と思えば良いし、何かの行事でも「これも義務だから仕方ない」と思えば多少の事は腹が立ちません。

ということで、自己防衛のためには、アドラーの心理学は役に立つかもしれません。




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