50歳になったら「夫婦という病:夫を愛せない妻たち」は必読です

渡哲也主演ドラマ「熟年離婚」が放送されたのは2005年の秋。そのドラマを観ながら「こういう夫はよくあることで何が問題なんだろう」と思ったものです。「定年になったら、あーしよう、こーしよう」と思いながらもそれまでは家庭を顧みない夫。同じく「夫が定年になったら…」の具体的な計画を立て、夫が定年を迎えたその日に実行に移す妻。

記憶が曖昧になっているので、どのようなドラマだったのかは割愛。

参考:ドラマ『熟年離婚』~夫婦って一体何なの?

このドラマが放送された時代は「夫が定年になったら」でしたが、それから10年経った今は「子供に手が掛からなくなったら」のようです。要するに、熟年離婚のタイミングは「夫の定年」ではなくなったということです。

うちの家庭もちょっとしたことで喧嘩になり、妻のブチ切れ具合が尋常ではありません。その割には性格ゆえか翌日、遅くとも2日後には怒りが収まっているようですが、私は結構長引きます…

周りからは「オシドリ夫婦」で評判だった某氏が「熟年離婚」したことを随分経ってから知りました。本人からは何も発表がなく、当然ながら会社からもありません。

※実際の鳥のオシドリは「オシドリ夫婦」ではありません

噂によると奥さんから三行半を突きつけられたらしいのですが、某氏は昔から自分の趣味を持たず、家庭優先のマイホームパパでした。趣味の代わりが「酒」のようですが、酒を飲んで暴れるわけでもないし、飲み歩くというわけではありません。そのような人が奥さんに捨てられる(?)のですから、「夫婦」というものは難しいものです。

「酒もタバコも博打も女遊びもしないから趣味に没頭しても良いじゃないか」が私の言い分ですが、実はそんな簡単なことではありません。「趣味に没頭」の裏にはいろいろあります。(その辺は割愛します)

自転車遊びを再開したのが四十半ばで、その年齢からなら肉体改造も間に合うと少しばかり真剣に取り組んで、完璧主義ゆえに上手くいきました。

「ブロンプトンで日本一周」の企画モノも「50歳までに完了させる」で最後は急ピッチで完了させました。現実問題として、50歳を過ぎた後は「八重山諸島の旅」を最後に旅に出ることができませんでした。そして51歳になってしばらくすると親父が亡くなるという予想外の事態になり、現在に至っています。よって50歳までに完了させていなければ、「ブロンプトンで日本一周」を完結させることができなかったということになります。

自転車遊びの延長で「ブロンプトンの旅」を始めた要因のひとつに、「行きたければ一人で行けば」という妻の口癖があるのですが、今思うと…

何かとタイミングが重要ですので、理論的に物事をとらえる私としては少し勉強が必要です。妻から感情論で何を言われても理解できません。ただ、喧嘩になるだけです。

ということで、最初の一冊に選んだのがこれです。


夫婦という病:夫を愛せない妻たち

長年「家族」を見つめてきた精神科医が最前線の治療現場から贈る、結婚を人生の墓場にしないための傷んだ愛の処方箋。初期の方も、末期の方も、きっとあなたにもあてはまる21のケースと有効な対処法。

はじめに パートナーを愛していますか?

第一部 夫を愛せない妻たち

第一章 なぜ気持ちが通じないのか
第二章 自己愛夫に傷つく妻の自己愛
第三章 怒りのスイッチ
第四章 愛と優しさに飢えて
第五章 一人ではキャッチボールはできない
第六章 思い通りでないと許せない
第七章 回避する男たち
第八章 セックスに関心をなくす妻たち
第九章 報われなかった努力
第十章 悪夢は繰り返す
第十一章 復讐する妻たち

第二部 愛と人生を取り戻す妻たち

第十二章 愛は支配ではない
第十三章 不機嫌な夫を優しくさせる方法
第十四章 怒りのスイッチを切るには
第十五章 「DV亭主」との再出発
第十六章 鳥かごから羽ばたく妻たち
第十七章 愛着が修復されるとき

第三部 新しい愛の形を求めて

第十八章 長い糸に結ばれて
第十九章 結婚を愛の墓場にしないためには
第二十章 新しい家族の形
第二十一章 ライフサイクルとパートナー

「第一部 夫を愛せない妻たち」を読むとあれもこれも私に当てはまります。はっきり言って危機的状況です。

私の親父の世代まではそれが普通のことでも今は違う。ただそれだけのことですが、なかなか本人が意識しない限り気が付きません。

愛着スタイル
・安定-回避型
・安定-不安型
・不安定-回避型
・不安定-不安型

自分が育った環境で4つのスタイルのどれかに当てはまるようです。

それを踏まえて、感情的にならず理論的にとらえると解決策も見つかるかもしれません。ただし、あからさまに「理論的に解決する」という態度を見せると「火に油を注ぐ」ようなものです。

ぎりぎり間に合ったのかどうか分かりませんが、「私が間違っていました」から始めました。

この書籍は以下の言葉で締められています。

カップルにとっての優しさは、これほど大切なものであるにもかかわらず、多くの夫婦が、結ばれて何年も経たないうちに、攻撃し合い、責め合う関係になってしまう。妻は夫に失望し、夫を責め、責めたてられた夫は逆切れして、妻に暴力をふるうこともある。ぶつかり合いを避けるために、互いに無関心になり、情緒的なかかわりから手を引いていく。他人以上に冷たくパートナーに接してしまう。

相手のせいにだけしていたのでは、一向に問題は解決しない。なぜならば優しさとは、どちらか一方が与えるものではなく、与え合うことで増えていくという性質をもっているからだ。優しくしてもらえないからと、そっぽを向き、相手を責めたところで、優しさは手に入らない。しかし、自分から与えようとすると、求めなくても、自然と与えられるようになる。

ついつい「鶏が先か、卵が先か」と考えてしまいますが、そもそもそのように考えてしまうことが間違っていました。



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