東海道を走る「京都三条大橋~宮宿(熱田)」

一筆書きで日本一周のルートを再考したところ、どうしても外せない「東海道」の最初の区間でもあり最後の区間でもある「京都三条大橋~宮宿(熱田)」を走ることにしました。


20120929東海道「京都~宮宿」

ブロンプトンで全国制覇の旅の第一章「東海道を走る」については、東京の日本橋から愛知の宮宿(熱田)までの区間を走り、宮宿から桑名へ向かう途中で進路を北に変更して「二ノ瀬越」を越えて関ヶ原、米原、彦根、近江八幡、大津、京都三条大橋ゴールとしました。

「ブロンプトンの旅」を始めた当初は、最終的にどこまでやるのか決めていたわけではなく、とりあえず「東海道を走ってみよう」から始め、その終盤に近づくと「日本縦断をしてみよう」に発展して、縦断の目処がついてくると「日本全国制覇にしよう」、そして現在は「どうせ全国制覇するのならば一筆書きで日本一周にするか」のように旅を続けていくにつれてスケールアップ。

一筆書きルートの「中日本編」は東海道で京都から東京(途中で山梨と伊豆に寄り道)、次に関東地区をぐるっと回り、中山道で埼玉から京都に戻ることになります。“一筆書き”の都合上「東日本編」のスタート地点を米原に設定するため、中山道の終盤はそれなりにアレンジさせます。

つまりは、すでに完結させていた「東海道を走る」と「中山道を走る」を「一筆書きで日本一周」のために少しばかり“やりなおす”必要があるのです。

ということで、「京都三条大橋~宮宿(熱田)」の区間を走り、「東海道を走る」を完成させます。


5時30分、三河安城駅から在来線で名古屋へ。名古屋で新幹線に乗り換えると、午前7時少し前に京都に到着します。名古屋から35分程度で京都に行けるわけですから、この時ばかりは新幹線の速さを思い知らされます。京都から10時間も掛けてブロンプトンで名古屋に戻るわけですので。7時5分過ぎにスタート。


まずは東海道のスタート地点でもありゴール地点でもある「三条大橋」に向います。大通りは楽しくないため、このような路地裏を通ってみますが、なんとなくこういうところに京都らしさを感じます。


弥次喜多の像のところで改めて記念写真。思いつきでスケールアップさせていった「ブロンプトンの旅」ですが、最初からキッチリと計画を立てていたのならば、ここが旅のスタート地点になっていたハズ。


7時30分、「三条大橋」。さて、改めて旅の始まりです。

旧東海道は非常に複雑なルートになっているため、自転車の速度では地図を眺めながら走ることは不可能。完全自力で東海道を制覇するのならば徒歩でなければムリです。とうぜんながらナビを使ってもガイドなどしてくれません。そこでルートラボで東海道のルートを作成して、それをナビにインポートさせます。それを目安に走っていくことになりますが、ナビを凝視しながら走るのは危険。ということで、うっかりルートを外れることが頻繁に起きるわけで、ルートのチェックのための停車時間が思いのほか必要になります。東海道には中山道のような「中山道はこちら」というような標識が全くありません。


ということで最初の「大津宿」はいつの間にか通過というか、そもそも宿場町の面影が全く残っていません。生活道路をひたすら走っているという雰囲気。代わりに「膳所城(ぜぜじょう)」に立ち寄ってみましたが、普通の公園になっていました。この後も良く分からない道を不安になりながら進めると…


9時7分、「草津宿」に到着。ここは(元)宿場町として保存整備されていて観光地としてなりたっているようです。


草津宿「田中七左衞門本陣」。現存する本陣としては日本最大規模とのこと。


9時51分、「石部宿」に到着。ここは観光地ではなく、古い町並みが自然に残っています。ブロンプトンでぶらぶらとのんびりと散策するのに適しています。


10時47分、「水口城跡」。「城がある町」という標識が気になったため、立ち寄ってみました。水口宿(みなくちしゅく)は町として発展してきているため、宿場町の名残はあまりありません。旧東海道には「からくり時計」が設置されています。甲賀市水口地域市民センターで「曳山」を見ることができるのですが、張り紙を見ると「平日」限定のようです。


今回は旧道をトレースするようにしていますが、ところどころ国道1号も走ることになります。その極短い区間になにやら「日本一」をものすごくアピールしているお店があったので、緊急ピットイン。福岡市出身の創業者が自分が作った「たい焼き」を食べて「このたい焼きの味は日本一(にっぽんいち)たい!」 と博多弁で言ったことがそのまま店名になったようです。私は「粒あん」が苦手ですので、「白あん」と「カスタード」にしました。ちなみに注文する時は「1匹」「2匹」と店員さんに告げます。「1個」とか「1枚」ではありません。「たい焼き」って厚皮でなんだか小麦粉ばかり食べさせられるというのが多いのですが、この「日本一のたい焼き」は「サクサク薄皮」で実沢山でとても美味しいです。私はカスタードを気に入りました。


11時48分、「土山宿」。ここも道路は整備されていますが、古い建物を壊さずに普通に暮らしているという雰囲気です。観光地として成り立ているわけではないようです。純粋に「東海道」を徒歩や自転車で制覇したい人にはこういう宿場町がいいかもしれません。

土山宿を過ぎるといよいよ鈴鹿峠への上りが始まります。といっても、草津宿から微妙な上りがひたすら続いているため、鈴鹿峠までの上りは極僅かです。距離にして5km少々。


ということで、あっと言う間に「滋賀県と三重県の県境」に到着。石標が旧道らしくて良い感じです。


12時27分、「鈴鹿峠」。「もう少しなんとかならないのかな」という感想は前回訪問時と同じ。ここに来る人が殆どいないとはいえ「東の箱根峠、西の鈴鹿峠」って言われているのなら、鈴鹿峠にも何か欲しいものです。


江戸時代に道中の安全祈願のために建てられた「万人講常夜燈」を眺めながら休憩タイム。


うっかり通り過ぎてしまう「坂下宿」にも立ち寄ってみましたが、やはりうっかり通り過ぎる町並みです。


12時59分、「関宿」。ここは気合を入れて町並みの保存活動がされています。綺麗すぎる点が旧道マニアの受けがイマイチかもしれませんが、旧道の雰囲気を味わいたい観光客にはちょうどいいかもしれません。

この東海道「関宿」は「歴史国道」として選定されています。


関宿の伊藤本陣。


「『東海道を走る』が楽しいのは関宿まで」というのは桑名まで走ってみての感想ですが、とりあえずレポートを続けます。亀山宿には何も無いため「亀山城跡」に立ち寄ってみましたが、まだ改装工事中でした。この後も旧東海道を走りますが、亀山から四日市まで大した距離ではないのに、旧道を走ると結構な遠回りであることと、速度が低めになるため、予想以上に時間を要します。


13時54分、「庄野宿」。


14時7分、「石薬師宿」。小沢本陣跡は現在でも小沢さんの住居。旧道を走ってみて、ここまで明確に歴史を引き継いでいたのを見たのは初めて。


庄野宿からは既にありふれた生活道路になっているわけですが、四日市宿は商店街に突入。四日市のマスコット「大入道」がお出迎え。


「ほんとうにここは旧東海道なのか?」と思いながら進めると、時々このような標識が現れます。しかし、生活道路の割には一般車両の通行量が多いので、走っていても楽しくなく、町中を走っているので景色も楽しめません。ただ、大型車が大量に走る国道1号に比べたら安全度は飛躍的にいいので、怖い思いをしたくなければ「亀山~桑名」の区間は旧東海道がいいかもしれません。


15時43分、桑名の「七里の渡し跡」に到着。旧道を走るというのは思っていた以上に時間が掛かりました。


今日は台風が迫ってきているため、雨雲との競争にもなっています。桑名を過ぎるとパラパラと僅かながらの雨が…。桑名から宮宿までの区間は「船」で移動していたため、旧東海道は存在しません。だからといってショートカットは「自走ルール」に反するため、雨雲から逃げるように東に向って国道1号を走ります。しかし、相変わらず交通量が多くて、精神的に疲れます。


16時53分、宮宿の「七里の渡し跡」に到着。終盤の1時間の走行で激疲れ。ブロンプトンは気合を入れて走り続けるような自転車ではないため、疲労度が倍増します。

走行距離: 158.1km
高度上昇値: 790m
平均スピード: 20.7km/h
所要時間: 9時間57分

交通費
三河安城駅-京都駅 6060円
熱田-三河安城駅 400円



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