ブロンプトンの旅2017「角島アゲイン」

下関から萩の区間については、山口県遠征後編「新山口~秋吉台~萩~長門~下関」で走っていますが、メインイベントだった「角島」に渡ることができませんでした。


途中まではこのように良い天気だったため、長門から角島までの区間にある立ち寄りポイントをほぼクリアできました。


しかし、角島に近づくにつれて強い向かい風になり、角島に到着した時は既に台風並みの暴風のため、橋を渡ることができません。時速15kmにも満たない速度で下関を目指し、なんと下関周辺では「暴風警報発令中、通行注意」が表示されていたのです。

ということで、再び下関から萩の区間を走る唯一の理由は「角島に渡る」です。今回は長門から角島の区間の立ち寄りポイントを全てスルーできるため、宿泊地を長門ではなく萩にします。ところが、3連休ということもあって宿の選択肢がなく大変なことになるのです。

遠征三日目


「下関」といえば「フグ」ですが、庶民には「フグ料理を堪能する」という贅沢ができません。それを狙ってか宿の朝食は「フグ雑炊」です。雑炊にしてしまうとフグなのか判別が困難ですが、美味しい朝食をいただきました。ただし、自転車旅としては量が少ないため早めの昼食が必須になります。


交通量が少ないうちに下関市内を脱出したいため7時15分ごろに宿を出発。下関から角島までの区間には何もないため我慢の走行が続きます。アップダウンの連続というのは荷物を搭載したブロンプトンでは非常にきつく感じ、海を眺めながら気を紛らわせるしかありません。


宿から約50km、ついに超有名なビューポイントに到着しました。ブロンプトンでの所要時間が2時間35分ですから「角島を目指してひたすら走った」と我ながら呆れます。この「角島大橋」を眺める景色は「晴天」しか絵になりません。晴天でなければ立ち寄る価値はありません。前回はどんより雲で落胆したものです。


まだ時間帯が早いためか「切れ目なく車が通る」ということはなく景色をのんびりと楽しみながら橋を渡ることができます。※復路は車が多かったため気合を入れて通過

橋を渡っても休憩を取らずにある場所を目指して走り続けます。他の殆どの観光客がスルーするであろう場所です。


ここが映画「四日間の奇蹟」で出てくるロケーションです。作中でもこの構図があったような気がするため、妙に気分が盛り上がります。


そして、これが「四日間の奇蹟」のために作られた礼拝堂です。実はキャンプ場のトイレを礼拝堂風に改装した建物で、作品を撮り終えても壊さずに残しているようです。※今はオフシーズンですのでトイレが使えません


離れて見れば礼拝堂そのものですね。


作中の落雷のシーンはこの海岸でしょうか。まるで沖縄の様な綺麗な海です。しばし、浜辺でくつろぎます。


この先の食事処に悩みたくないため、まだ11時前で誰も食事していませんが「しおかぜの里角島」で昼食タイムにします。この「ふぐ唐揚げ定食 800円」はお得感ありますね。

さて、本日の目的は達したので萩を目指して再び走り続けますが、最近は「ひたすら走る」ことに飽きているのが原因なのか途中で嫌気がさしてきます。自走しても余裕がありすぎる工程ですが、途中で何度も列車に乗ってしまおうかと思ったほどです。こうなると「運動代わりのサイクリング」でしかなくなってきます。


「何か無いものか」と走りながら標識をチェックしていると「三隅山荘」と書かれた看板があったため少し寄り道してみました。

三隅山荘は、村田清風の旧宅である。清風が誕生して19歳までと、63歳で隠退し、73歳で亡くなるまでの約30年間を、清風はこの旧宅で起居しました。母屋は、茅葺き妻入りの建物で、簡素な式台を備えた玄関その隣に土間床の家人用脇玄関を設けています。式台付き玄関を入ると控えの間、床を備えた接客用座敷へと続く構成は、武家住宅の特徴をなすものです。付近の大歳山にある村田清風のお墓と共に、国指定史跡となっています。
http://nanavi.jp/sightseeing/misumisansou/

残念ながら「村田清風って誰?」ですから、この建物の価値がさっぱり分かりません。

走るのに飽きてくるとちょっとしたものでも興味が湧いてきます。それが、「所要時間が10分程度の寄り道」なら尚更のことです。

「もうそろそろ休憩したい」というタイミングで「いこいの森三隅オーシャンビュー 400m」と書かれた看板があったため、立ち寄ってみることにしました。ビューポイントまでの400mを往復しても10分も掛からないはず…


ところが、緩い上りを700mほど進むと“押し歩き”になり、ビューポイントが現れることなく行き止まり。この看板を見る限りビューポイントがあるはずですのでUターンして全ての道路を押し歩きしましたが見つからず。

よく眺めると道路わきに草ボーボーの登山道のような狭い荒れ地があります。草を掻き分けて進むと階段が現れ、ひたすらハイキングです。しかし、なかなか視界が開けません。これを登り続けるのは正解なのだろうか…


登り始めて10分、パッと視界が開けてまさに「オーシャンビュー」が現れました。この景色を拝めるのなら苦労した甲斐があります。それにしても「いこいの森三隅オーシャンビュー 400m」の「400m」って何なんでしょう。


萩まで残り20kmほどですが、まだ苦難は続きます。交通量が殆どない県道64号は田舎道ですので走りやすいはずですが、荷物を積んだブロンプトンでは苦行です。


この道は前回も走ったはずですが、こんなに苦しんだのか記憶にありません。たぶん「日本一周」だったこともあって気合が違ったのかもしれません。

余裕を持った行程のため午後4時ごろには萩に着いてしまいますが、妙に疲れているため気分的に萩を観光する気になれません。

そこで、「三見橋(眼鏡橋)」の看板につられて立ち寄ってみることにしましたが、国道まで進んでもそれらしきものが見つかりません。Googleマップによると狭い農道に入れば良いらしいのですが路面が悪いため押し歩きです。ここにあるはずという場所に来ても見当たりません。田んぼの畦道を歩いて探しますが、はてどこにあるのでしょうか。

諦めて通りに戻って地元の人に眼鏡橋のことを聞いてみたところ、やはり農道を進めばあるらしい。かなり先まで見に行ったことを告げるともっと先まで行けば良いらしく、どうやらGoogleマップが間違っているようです。


ということで不安に感じながら農道を奥へ奥へと進むと、予想を遥かに超える大きな眼鏡橋が現れました。改めてGoogleマップを確認してみると、農道を使わずに国道を長門方面に少し戻ればいいことが発覚。最初の看板を見て県道を右折して国道に出たところで再び看板があればこんな苦労をせずに済むものを困ったものです。萩から長門まで車で移動するならすぐに見つかります。自転車だとその国道を回避するため見つけるのが大変です。

正3年(1914)に建設された、径間54尺(約16m)の石造りの単一アーチ型石橋。橋の長さは約32m、幅は3.5mで、迫石545個を積んで構成した規模の大きな石造の眼鏡橋です。橋の真下から見上げると、アーチの曲線のシルエットが力強く美しいさまを見ることができます。
http://www.hagishi.com/search/detail.php?d=1100239


「いこいの森三隅」と「三見橋(眼鏡橋)」で合計1時間30分ほどタイムロスしたため、萩城に到着したのが16時45分です。当初のタイムスケジュールでは15時到着ですので、やはり「萩観光は、まっいいか」となってしまいます。


この萩城から先が「日本一周補完計画」の区間になります。

観光を諦めて萩の街並みを見ながら食事処を探しますが、簡単に見つかるはずという当てが外れて、大手チェーン店を省くと見つかりません。さて、困りました。3連休で観光客が多いのか、夕食付きの宿の確保ができなかったのです。


「毛利三本の矢の銅像」が萩市民館前にありました。萩城を築いた毛利輝元は「三矢の訓え」に登場しません。父と祖父の逸話ですから。


旧萩藩校明倫館 ※開館時間が過ぎているのでここから覗いてオシマイ

「秋の萩焼まつり」の会場をぐるっと周っても食事処が見つかりません。「哀しいけどコンビニか?」と諦めかけた時、「うまいもの処萩っ子」と書かれた小さい看板を発見。狭い道を入っていくといかにも地元民の憩いの場所という雰囲気の店がありました。店内は数多くの地元民のグループが宴会をしていて、観光客は場違いな雰囲気がします。


メニューが多すぎて何を注文すれば良いのか迷いましたが当たり外れが少ない「天ぷら御膳」にしました。

そして、午後6時ごろに宿に到着。本日の走行距離は135.8km、獲得標高は1398mでした。

昭和初期に建てられたのか不明ですが、非常に古い宿です。それもまた旅の醍醐味ですし、静かな雰囲気が気に入り21時頃には熟睡。。。

ところが何やら騒がしくて23時ごろに目覚めてしまいました。隣の客(女性)が酔っているのか大きな声で延々としゃべり続けています。もう五月蠅くて眠れません。テレビをつけて誤魔化しますが当然ながらイライラが収まるわけがありません。そして反対側の部屋からも話し声が。。。

どうやら、夕食無しの宿だったため、私がチェックインした時は大多数の客が出歩いていたようで、夜遅くに戻ってきたような雰囲気です。五月蠅いおしゃべりは深夜2時まで続き頭が痛くなってきました。古い旅館の壁は薄いため話し声が筒抜けです。


下関~萩

続く



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