中山道を走る「安土と近江八幡」

中山道を走るシリーズの完結編として関ヶ原から京都を目指して走りますが、草津から先は東海道とダブるため愛知川宿までとします。そこから先は「安土城跡」「近江八幡」「彦根城」に立ち寄ります。


中山道「関ヶ原~近江八幡~彦根~米原」

「日本縦断」企画で関ヶ原から京都の区間は既に走っていますが、「ブロンプトンの旅」を「一筆書きで日本一周」に発展させたため、ルートの修正が必要になりました。「一筆書きで日本一周」の「東日本編」は京都から東海道をベースに東京まで、関東をぐるっと回り、中山道をベースに滋賀まで戻ります。そこで「中山道を走る」で抜けていた区間とセットで「安土城跡」「近江八幡」を観光するために滋賀エリアを走ります。


7時30分頃、JR関ヶ原駅をスタート。『中山道を走る「関ヶ原~土岐」』の時は関ヶ原から東へ向いましたが、今日は西へ向います。『中山道を走る「関ヶ原~近江八幡」』の時に関が原の合戦場を散策したため今回はスルーします。


「不破関守跡」からは中山道を走ることになりますが、壬申の乱(672年)後に設けられた東山道の関所ですので、非常に歴史ある関所跡といえます。ここから「番場宿」までは『中山道を走る「関ヶ原~近江八幡」』と同じルートを走ります。


松尾芭蕉の奥の細道は東北エリアが有名ですが、この辺りの中山道も歩いていたようです。


観光美化が進められている「柏原宿」。


「醒井宿」の本陣跡地。中山道は東海道に比べてブロンプトンのような小径車で“のんびり”走るのに最適な旧道です。旧道を走ってみたい人には、まずはこの区間を走ることをお勧めします。


「番場宿」「摺針峠」を通り、鳥居本宿場町の北入口の「昔の旅人の像」。


江戸時代から1970年代まで合羽の製造をしていた鳥居本宿の合羽所「松屋」。


高宮宿の「芭蕉の紙子塚」。1684年、芭蕉が宿泊して読んだ句「たのむぞよ 寝酒なき夜の 古紙子」。


「豊郷」を走っていると、やたらと「ようこそ聖地へ」と書かれた幟が目に付きます。これはなんだろうと豊郷駅に向かってみても何のことなのか分からず…


「豊郷 大好きー!!」って、うーん、分かりません。


再び中山道に戻って進むと「ここが噂の玉屋です」って書かれた看板発見。「巡礼ノート設置店です」と書かれているけど、巡礼マニアの立ち寄りポイントなのでしょうか。


ちなみにここは普通ぽい「うどん屋」ですね。


愛知川宿の本陣跡。ここは宿場町の雰囲気があまり残っていません。


さて本日のメインイベント「安土」観光。信長の館には原寸大の安土城天主(5・6階)が展示されています。


NHK大河ドラマ「江-姫たちの戦国」の撮影にも使われるほどの絢燗豪華な安土城は必見です。


やってきました安土城址。特に下調べもせずに訪問したわけですが…


予想もしなかった過酷な石階段が目の前にドドーンと現れ、汗だくになりながら上ることになります。


この辺りまで来ると多少は緩やかになりますが、まだまだ石階段は続きます。


ようやく天守台跡地に到着。「織田信長の本廟」「信雄公四代の墓」「三重の塔」「山門」など見所もたくさんあり。


安土駅前に信長の銅像があるらしいのでちょっと立ち寄ってみました。それにしても今日は見事なドピカン晴れです。


「そば処さわえ庵」で「近江竜王そば」。蕎麦よりうどんを好む私でも、「これは美味いな」と思えた一品です。


近江八幡には過去に2度来たことがありますが、その時はあくまでも「JR近江八幡駅」を利用するためでした。そこで今回は近江八幡の街並み散策を楽しむことにしました。


このような路地裏に入り込めるのもブロンプトンならでは。世間では3連休ということもあってか、街並み散策をしている観光客が非常に多く、まるで「高山」並みの賑やかでした。


近江八幡から彦根までの区間は強風の中での走行になり、非常に疲れましたが、14時35分、なんとか彦根城に到着。天守閣への入場が60分待ちとはなんとも驚きです。


彦根城は『中山道を走る「関ヶ原~近江八幡」』の時にじっくり見ているので、今日は天守閣とブロンプトンをセットで撮れる場所を求めて城の周辺をぐるっと回ってみてみましたが、生い茂る木が邪魔してなかなか良い場所が見つかりません。


15時20分、米原駅に到着。

本日の走行距離は97.7km、獲得標高は467mでした。

交通費 青空フリーバス 2500円



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