30数年間人生送っていると過去の遺産(変な言い方)が山のように部屋を占拠する。
最近何かと日記に登場するコレクションのビデオテープ。VHSならまだ良い、しばらくVHSデッキは存続するであろうから、壊れてもなんとかなる。ところがベータはどうするのか。先日、ついにソニーがベータのデッキの生産中止を発表した。いままでも受注生産みたいなものだったが、手に入れる方法は残されていた。しかし、今度こそ完全中止だそうだ。どうすれば良いんだ。この山のような「ベータのテープ」を。きっとこれからは闇市でベータのデッキがプレミア価格で取引されるんだろな。VHSだって安心はできない。20数年間続いた「テープ」の時代はそろそろ終焉を迎えつつあるのだ。
私は「テープ」が嫌いだ。嫌いになった背景には大昔の8ビットパソコンの悪夢からきている。そうあれは苦労して作ったプログラムをテープにセーブ。翌日、ロードすると「読みこみエラー!」苦労して作った私のプログラムは何処へ。それ以来、A面に2回、B面に2回計4回のセーブをするようになった。4 回もセーブすればそのうちの1回くらいはまともだろうという考えからだ。そう、この「テープなんか信用できない」というトラウマからずっとテープが嫌いなのだ。
ではなぜ山のようなビデオテープがあるのか。それはビデオは「テープ」しかなかったからである。この際、記録媒体などどうでもよく、とにかくコレクションに励んだのである。当時1本4000円もするテープを毎月箱単位で買っていた。テープを買うためにバイトをしていたようなもの。学生時代にデッキとかテープに注ぎ込んだバイト代は軽く300万円を越える。いま思えばアホである。でも当時はそれが幸せだったので後悔はしない。
テープを買い始めたころ1本4000円もしていたものが気がつけば1000円で買える時代になっていた。この量産効果には驚いたものだが、それには価格が高い時代に投資をしてくれる人がいたからこそ量産へ進むのであり、その投資をした人の中の一人が自分だと思えば「ビデオデッキの普及に少しでも役にたてた」などと変な自己満足に酔いしれるのである。普及しきった現在、テープ1本の価格は100円。40分の1である。当時に比べ40倍普及したのであろうか、いや材料原価とか製造原価というものはそんな簡単なものではない。そこに流通原価やら販売コストやらいろいろ絡むので、需要が何倍になれば単価が何分の1になるという簡単なものではないのであろう。とにかく私は普及に貢献したのである。
が、時は流れ目の前の山。
続く。