中山道を走る「木曽福島~塩尻~小諸」

2012年4月19日

「中山道を走る」の木曽福島から東京までの区間を単純に走るだけでは面白みに欠けるため、碓氷峠から先を大きくアレンジして「榛名湖」と「秩父」に立ち寄ってから、東京スカイツリーを目指して走りますが、遠征初日は中山道の難所である「和田峠」を越える過酷なコースになっています。

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遠征は基本的に一方通行となるため、遠方になればなるほど移動のための時間が必要になってきます。「中山道」についても日帰り遠征が可能な範囲は「塩尻」あたりが限度となるため、木曽福島から東京まで2泊3日で走りきります。


前回のゴールとした木曽福島駅を9時スタート。福島宿の街並みを見ながらのんびりと進み、木曽福島関所跡に到着。今回は時間もルートも厳しいスケジュールとなっているため外観の雰囲気だけ見て先を急ぎます。


国道19号は大型車の通行量が多いため、「新鳥居トンネル」は素直に歩道を走ります。ところがこの歩道は狭く、灯りが無い箇所もあるため、ライトを点灯させて走っても、かなり怖い思いをします。


トンネルを抜けると宿場町を再現(復活?)させた「奈良井宿」に到着。


妻籠宿は古い町がそのまま残ったという雰囲気ですが、奈良井宿は観光目的に復活させたような雰囲気です。建物は古いけど街並みには新しさを感じるというか…。観光目的に整備を進めすぎたのかもしれません。


錦帯橋もどきの「木曽の大橋」。たぶん遠征でいろんなものを見てきたせいで、自分が求めているレベルが高まっているのかもしれません。


塩尻を通ると何やら「平出遺跡公園」と書かれた標識があったので立ち寄って見ました。昭和57年の発掘調査によって発見された古墳時代の竪穴式住居を復元させたとのこと。「日本三大遺跡に数えられる大きな遺跡」となっていますが、復元作業の途中なのか、単なる空き地に見える原っぱがたくさんあります。


本日の峠越えは4つありますが、旧道の鳥居峠は自転車では通れないため、峠越えは実質3つとなります。その1つ目が標高1012mの「塩尻峠」です。標高差300mをえっちらおっちら上るわけですが、ここは交通量が多いため、単なる峠越えという雰囲気。


塩尻峠を下っていくと「諏訪大社下社秋宮」に辿り着くため、中山道を走るのならついでに参拝していきましょう。


下諏訪宿の本陣跡。甲州街道の江戸から数えて三十九番目で終点でもあります。つまり、中山道をこのまま進んで和田峠と碓氷峠を越えて日本橋を目指すことも、甲州街道を進んで笹子峠と大垂水峠を越えて日本橋を目指すこともできますが、どちらも難所の峠越えがあることには違いはありません。


諏訪大社から距離13.5kmで標高差725mの峠越えが、本日の峠越えその2「和田峠」です。ここを上るためにブロンプトンのフロントギアを42Tに交換してきましたが、それでもかなりキツイです。頂上までノンストップで上ることはできず、なんども小休憩を取りながらも一漕ぎ一漕ぎ少しずつ上っていきます。


14時54分、ようやく和田峠の和田峠トンネルに到着。下諏訪宿の本陣跡から1時間30分も掛かってしまいましたが、和田峠をブロンプトンで上りきることができて達成感に満ち溢れます。


中山道最大の難所「和田峠」で行き倒れる人が続出したため、旅人を助けるために建てられた「接待」。


和田宿の雰囲気を見ながら旧道をしばらく走ると再び国道に合流。峠越えその3「笠取峠」を上るころには筋力が大幅にダウンしていて、とにかくツライ。笠取峠には茶屋がありましたが、立ち寄る余裕がなくて残念。


中山道にも松並木が何箇所かありますが、この「笠取峠のマツ並木」が規模としては最も大きいのかもしれません。東海道の御油の松並木ほどではありませんが、雰囲気はあります。この後の芦田宿は普通の住宅街になっていて、ちょっとガッカリ。さて今日の宿がある「小諸」を目指して走りますが、ソニーのナビに従って走ると、急勾配のアップダウンの連続でもうヘトヘト。勾配8%すら上れなくなり、テクテクと歩くことが何度もあり。


17時54分、なんとか懐古園に到着。桜の開花が遅れているため、そろそろ見頃かと期待していましたが、残念ながら殆ど咲いていないようです。


夕食は某ホテルでバイキングにしましたが、なぜかいつもより食が進みません。激疲れのため食事より早く横になりたいという状態だったのかも。


食事の後は懐古園を散策しますが、さすがに桜が開花していないこともあって観光客は殆どいません。

一日目の走行距離は117.54km、高度上昇値は2111mでした。



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