補完計画長野県編「真田幸村ゆかりの地と軽井沢観光」

ブロンプトンで日本全国制覇の旅」の自分ルールの立ち寄りポイントに「日本の世界遺産」がありますが、9月の遠征で「石見銀山遺跡とその文化的景観」に訪れたため、残るは「小笠原諸島」と「富岡製糸場と絹産業遺産群」となりました。

「小笠原諸島」については来年の春先を予定しているため、いつでも行けそうでなかなか行けない「富岡製糸場と絹産業遺産群」をどうするか。2012年の中山道ネタで遠征した時に世界遺産に認定されていれば立ち寄った可能性は大ですが、当時は存在そのものを知らなかったため、完全にスルーしました。今となっては、先月の「宮島」の時と同様に「わざわざ再び行くのは面倒だな」と思ってしまうわけです。

北関東遠征の目的が「富岡製糸場」とはいえ、それだけのために群馬まで行くのは気分が盛り上がりません。そこで、日本一周の時に日程的にスルーしてしまった場所に改めて立ち寄ることにしました。


20141016上田~軽井沢
20141017軽井沢~伊香保
20141018伊香保~熊谷
20141019熊谷~東京

世界遺産に認定された「富岡製糸場」には話題性が高いこともあって大勢の観光客が訪れているため、とても休日にブロンプトンで立ち寄る気にはなれません。「富岡製糸場」の外観だけ眺めて撤収するのならば休日でも良いかもしれませんが、しっかり見学したいのならば平日に限ります。

しかし、平日の朝の時間帯に大きな荷物を抱えて愛知から東京へ向かい、さらに群馬に向かうのは躊躇います。過去の遠征も東京方面に向かう場合は必ず休日にしています。

「愛知~東京」の区間の移動は休日、「富岡製糸場」の見学は平日という制約をいかにクリアさせるのか、この点に大いに悩みました。

そこで、過去の遠征で立ち寄ることができなかった観光地を再検討。

愛知から東京へ向かうのが難しいのならば、長野へ向かえば良いのではないか。遠征の日程を1日増やして、二日目に「富岡製糸場」に立ち寄ることで全て解決。

3泊4日にして、立ち寄れそうなところをできるだけ多くピックアップしておいて、当日の時間との兼ね合いで臨機応変に対応ということにしました。

※結果的に最終日は予定していたスケジュールとは全く違うものになりました。

遠征初日

まずは愛知環状鉄道の最寄駅から高蔵寺駅まで移動します。そして、高蔵寺駅で篠ノ井駅までの乗車券、特急券、指定券を購入。

平日ならば空いているだろうし指定券は要らないかもしれないと思いましたが、多治見駅で特急に乗り換えると平日でも乗車率が非常に高く、指定券を購入しておいて助かりました。

篠ノ井駅でローカルな雰囲気が漂う「しなの鉄道」に乗り換えます。「しなの鉄道」は過去にも利用したことがありますが、平日の朝の雰囲気は休日とは少し違って感じられます。


途中の駅に停まっていた珍しい列車。真田氏の家紋が描かれている謎の列車。


10時34分、上田駅に到着。最寄駅を5時51分出発ですから、かなり時間が掛かっていますね。


謎の列車の正体は「ろくもん」でした。


まずは上田市散策のために情報収集。案内板によると「真田十勇士モニュメント完成除幕式とスタンプラリー」なるものがあるようです。コンプリートネタ的にはスタンプよりもモニュメントに興味があります。

ということでモニュメント探索開始。

探し始めて分かったことが「スタンプ」と「モニュメント」が必ずしも同じ場所にあるとは限らないということです。


その前に真田幸村像と記念写真。「真田家ゆかりの地を訪ねて」で上田市に立ち寄っているのに取りこぼしていました。


「筧 十蔵(かけい じゅうぞう)」


「三好伊三入道(みよし いさ にゅうどう)」


「海野 六郎(うんの ろくろう)」


「由利 鎌之介(ゆり かまのすけ)」


「三好清海入道(みよし せいかい にゅうどう)」


「望月 六郎(もちづき ろくろう)」


「根津 甚八(ねづ じんぱち)」


「穴山 小助(あなやま こすけ)」


「猿飛 佐助(さるとび さすけ)」


「霧隠 才蔵(きりがくれ さいぞう)」

以上、少し迷いながらも真田十勇士をコンプリート。


北国街道の「柳町通り」。


そして「上田城」。今日はタイミングが悪かったようで武将隊は留守のようです。

これにて上田市観光は終了です。

実は、少し前から「立ち寄ってみたい」と思っていた宿場町が上田市の近くにあったため、遠征初日のスタート地点を上田駅にしました。つまり、遠征初日の「上田市」と「軽井沢」は取りこぼしの回収みたいなものです。


その立ち寄ってみたかった宿場町とは北国街道の「海野宿」です。


道路は綺麗に整備されていますが、あからさまな観光地というような雰囲気は全くせず、静かな落ち着いた宿場町跡です。


平日とはいえ、車は殆ど通らず観光客も非常に少ないながらも寂れた感じは全くしない不思議な空間です。


そば処「かじや」で海野宿のグルメ「くるみそば」をいただきます。クルミが蕎麦に練りこまれているというわけではなく、クルミを使った味噌を蕎麦汁に溶いていただくのです。食事というよりおやつ感覚のグルメでした。2、3杯は食べれそうですが、1杯で800円ですので自粛。


時間がゆっくり流れていそうな「海野宿」でした。


14時ごろに「小諸城跡」に到着。


小諸を舞台にした作品「あの夏で待ってる」。聖地巡礼ネタで観光客が増えるかどうかは取り組み次第かと思いますが、最近こういうのが増えましたね。

さて「軽井沢」を目指して北国街道を進みます。


今日は浅間山がくっきり見えます。


前回通った時は道路を工事していた追分宿ですが、道路だけでなく宿場町っぽく演出されてきています。まさに旧街道ブーム到来でしょうか。


15時30分、ようやく軽井沢に到着。まずは定番中の定番の「雲場池」。さすが避暑地だけのことはあり、秋の到来も早くすでに紅葉が始まっています。


水面の反射が綺麗です。


国の重要文化財「旧三笠ホテル」。


外観だけで良いかと思っていましたが、敷地内に入るだけでも有料ですので、建物内もしっかり見学。


古いホテルを一般観光客の見学向けに保存しているわけですが、維持費が掛かるとはいえ、入場料はちょっと高いなと素直に思いました。


まだ時刻は16時ですが、気温は12℃まで下がっています。自転車で走るには寒さを感じます。


駅から徒歩圏内に入ると急激に観光客が増えます。写真は「軽井沢聖パウロカトリック教会」。


少し山に向かうと途端に観光客が激減して静かさが漂います。写真は「軽井沢ショー記念礼拝堂」。


こちらが軽井沢別荘第一号だと言われている「ショーハウス」。

明治19年、軽井沢町にはじめて訪れたアレキサンダー・クロフト・ショー師は、この地を『屋根のない病院』と呼び絶賛しました。そして、自ら明治21年、軽井沢で最初の別荘を建てました。この別荘が『軽井沢の別荘』を生み出すもととなりました。この建物は、昭和の初めに軽井沢教会敷地内に移築されましたが、昭和61年に軽井沢ショー記念礼拝堂横にショーハウス復元委員会によって復元され、平成8年に町が寄贈を受け、現在にいたっています。
軽井沢町役場/ショーハウス記念館

軽井沢観光も“時間との兼ね合い”というスケジュールを組んでいたため、立ち寄りポイントを決めていたわけではありません。まだ時刻は16時40分、なんとか間に合いそう。。。


ということでやってきた場所は、2002年夏のドライブ第2弾「北軽井沢・秩父」で立ち寄った旧碓氷峠。峠には石碑のようなものはなく、この蕎麦屋が県境になっているようです。ところで、この店の住所は長野県なのかそれとも群馬県なのか?


こちらは本物の長野県と群馬県の県境の標識。ところで、軽井沢は長野県ですが、群馬県側がどのようになっているのか。。。


はい、迷い込んだに大変なことになりそうな山しかありません。

旧碓氷峠へ向かう上りが思いのほか激坂だったため、押し歩きを強い要られて大幅なタイムロスになり、群馬の山を眺めていたら、太陽が沈んでしまいました。


完全に日が暮れた17時34分、宿に到着。10月の軽井沢は寒いです。

走行距離:61.4km 獲得標高:1010m/506m アベレージ:16.7km/h



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