シンドイ思いをしてまで、なぜ「ヒルクライム」をやるのか? “タイムアタック”というレベルには達していないためサイクリングの延長のヒルクライムといえども一日で2000mとか3000mも上るとなれば、数十分もの間、ひたすら上ることも頻繁にあります。
初めて走る峠道なら「走ってみたかったから」というのが理由ですが、そこには「達成感があるから」だと思っています。では走ったことかあるコースを何度も走る理由は「どれだけ走れるようになったか知りたいから」でしょうか。
しかし、そのような理由だけで激坂を何十分も上る気になるのか? 漠然とですが私は「無になりたいから」となんとなく感じています。
そこで「ヒルクライム」に関連して書籍を2冊購入して読みました。
「ヒルクライマー」高千穂遙 著
「マルコ・パンターニ 海賊の生と死」ベッペ・コンティ 著
前者は二人のクライマーのお話ですが、縦軸と横軸のように微妙に接しながらも二つの話が進行していき、テンポ良く読み進めることができます。二人の主人公のうち中年オヤジの方が「なぜ『ヒルクライム』なのか」のヒントになると思います。
後者は伝説のクライマー「マルコ・パンターニ」のドキュメンタリー本となっていて、読むのに結構時間が掛かりました。内容の大部分が“裏話”のようなもので、華やかさはありませんが、それを踏まえてパンターニの映像をDVDで見るといいかも。(「ツール・ド・フランス1998」を予約注文しました)