2020年7月17日
先日、空いた娘の部屋を運動部屋&寝室にするつもりで、あーでもない、こーでもないと娘が置いていった大量の荷物をどこに移動させようかと妄想していると、妻から「娘の荷物はそのままにしておいて!」と作業に入る前に却下されました。
2019年8月21日
ツィッターのTLに「#制県レベル」なるものが流れてきたので興味本位で覗いてみると、「47都道府県」ごとに「住居(住んだ)」「宿泊(泊まった)」「訪問(歩いた)」「接地(降り立った)」「通過(通過した)」「未踏(未訪問)」のフラグを立ててその合計値を示すものでした。
2019年5月14日
「50歳までにブロンプトンの日本一周を完了させる」は予定通りに2014年の秋に達成。2013年シーズンはクロモリロードでブルベのSRを取れたため、2014年はブロンプトンで挑戦してSRを取れました。2015年も張り切っていたわけですが、2015年4月末から自転車NGになり、7月から再開。ところが実父の件で自転車遊びを少し控えて、2016年はジテツウのみ。解禁になった2017年は既にたくさん走る気分は無くなっていて、ジテツウとブロンプトンの旅のみ。2018年は「歩き旅」も始めたことでますます自転車に乗らなくなり、同時に撮影機材を爆買いしたことで、“機材”は完全に自転車からカメラへシフト。
2018年9月26日
健康ブームに便乗した自転車ブームゆえに、あくまでも自転車は運動のための道具であり、今回のブームでも旅の道具にはならなかったようです。なんとか「自転車旅」を盛り上げようと発刊されていた書籍は次々と休刊になりました。
2017年5月22日
「ブロンプトンの旅」の取り掛かりは「とりあえず東京から大阪までの区間を走ってみよう」でした。大阪でゴールを迎えた後は西へ延長して、下関までのつもりが日程の都合で佐賀市まで進みました。この辺りからは「とりあえず宗谷岬から佐多岬までの区間をジグザグに走ってみよう」となり、「ここまでやったら日本一周を」となった時点で「日本一周」そのものが目的になっていました。
2017年4月18日
自転車遊びを再開してからの走行距離がようやく100000kmを超えました。2012年から2014年までのペースからすれば、あっという間に100000kmを超えるかと思っていましたが、いろいろあってようやくという感じです。距離を求めて無理に走るということもないため当然といえば当然の結果ですが…
2016年12月31日
2015年の春までは「自転車オンリー」の生活をしていましたが、ドクターストップが掛かったり、自転車解禁になったタイミングで親父の入院騒ぎがあり、それも収まったかと思えば親父が亡くなるという事態になり、家の片付けや相続の手続きなどで忙しく、ようやく落ち着きを取り戻したのが2016年の夏前…
2016年1月3日
改めて自転車遊びの走行記録をチェックしてみると、2008年11月から2015年12月までの合計走行距離は、94090kmになっていました。
2015年11月3日
ブルーノミニベロ16を購入したのが2008年11月2日でしたので丸7年経ちました。いろいろありましたが、なんとなく起承転結で来ているようで、今年に入ってからいっきに「結」になってしまったような気がします。
2015年7月17日
日本一周コース「日本縦断Bルート」編は、九州の大分から愛媛に渡り、四国をぐるっと一周してから、しまなみ海道で本州に戻り、山陰エリアを東へ向かいます。京都からは「愛知→静岡→神奈川→東京→千葉→茨城→栃木→福島→山形→宮城→岩手」をジグザクに進み、青森の八戸から北海道の苫小牧に渡ります。そして日本一周のゴールを目指します。
2015年7月16日
日本一周コース「日本縦断Aルート東」編は関ケ原から北陸へ向かい、日本海側を青森市まで北上します。そして本州最北端の大間崎から函館に渡りますが、広大な北海道も複雑なルートで日本最北端の宗谷岬を目指します。
2015年7月15日
日本一周コース「九州・沖縄」編については悪天候の影響などでルートを遠征直前に変更したりしましたが、帳尻合わせが上手くいき「一筆書きで日本縦断47都道府県制覇」のコースとしていた「佐賀市→平戸市→長崎市→天草市→熊本市→阿蘇市→大分市→宮崎市→佐多岬→鹿児島市」を走破しました。(※実際は阿蘇を中心に4方向に進めています)
2015年7月14日
ブロンプトンの旅の序盤で「一筆書きで日本縦断47都道府県制覇」を目指していたこともあり、岡山から福岡まではジグザクに進んでいます。結果的に「日本縦断Aルート西」編の後半は「岡山市→尾道市→今治市→広島市→津和野市→山口市→萩市→下関市→福岡市→佐賀市」になっています。
2015年7月13日
「ブロンプトンの旅」は「東京~大阪」から始まり「東京~下関」まで延長させ、その続きで「日本縦断」を始めて、「日本一周」まで発展させたため、複雑な走行ルートになっています。そこで、“やり直し”の区間については最新のものを選び、無理やり日本一周コースに組み込んだものは外して、日本一周コースを「日本縦断Aルート中」「日本縦断Aルート西」「九州&沖縄編」「日本縦断Aルート東」「日本縦断Bルート」に分けて整理しました。
2014年11月7日
1年遅れになりましたが、ようやく2013年の遠征レポートが完成しました。遠征に要した日数は“61”ですが、レポートの本数は“36”です。ブログのように1日の出来事を細かく書いても仕方がないため、ざっくりと立ち寄りポイントの紹介記事のようにまとめてあります。仮にブログのような書き方をすると200本くらいになってしまいます。
2014年9月9日
「ブロンプトンで日本一周」が7月の北海道遠征で“いちおう”終わりました。しばらくの間は、中部、関西、関東エリアで取りこぼしたところを補完させるようなサイクリングになります。そこで今夏は「18切符」を購入して、交通費を節約した遠征を試してみました。一度くらいは「18切符」というものを使ってみたいというのが本当のところでしたが。。。
2014年7月25日
6月の北海道遠征第3弾で立ち寄った愛国駅を日本一周AルートとBルートの合流地点に設定したことで、愛国駅が日本一周のゴール地点となります。そこから先は、富良野と美瑛の景色を堪能しながらのグランド・フィナーレを迎えます。
2014年6月29日
昨年の8月の北海道遠征の続きですが、日程的に難しいところがあり、ルート設定にかなり悩みました。1発で女満別空港から新千歳空港まで走ることができないため、どこかで分割させる必要があります。しかし、分割させた場合、前半、後半ともに中途半端な日程になってしまうため、それぞれオプションとして「帯広~層雲峡~旭川空港」「帯広~富良野~旭川空港」を追加させることにしました。
2014年5月16日
ブロンプトンで旅をしてみようと思いつき、企画「東海道を走る」を始めたのが2010年10月です。記念すべき第一弾は「岡崎宿~宮宿」の区間でわずか52km。第二弾の「舞阪宿~岡崎宿」の区間は83km。第三弾で“峠越え”の検証を兼ねて「宮宿~関ヶ原宿」でロード乗りの聖地である「二之瀬越」をブロンプトンで越えることができたことで、自転車旅にブロンプトンを使えることを確信。第五弾で「蒲原宿~藤枝宿~舞阪宿」の区間で1泊2日の旅をしています。ここまでは、わずか3週間のできごとです。
2014年5月8日
景気が少し回復してきたのか「観光旅行」に出かける人がいっきに増えたようで、昨シーズンよりフライトと宿の確保が難しくなってきています。走りたいルートが決まっても、使える時間との兼ね合いで都合よく宿があればいいのですが、なかなかそうはいきません。だからといって宿のために、区間距離が長すぎても短すぎても良くありません。大雑把にルートを決めて、宿のチェック。区間距離に無理がある場合は前後を調整したり、オプションを増減させたり、いろいろと考慮します。
2014年4月28日
今年の5月、6月、7月の遠征スケジュール(ブロンプトンで日本一周)がようやく決まりました。すでにフライトおよび宿の確保も完了しています。多少なりとも景気が良くなってくると観光業界に賑わいが戻ってきて、フライトも宿も確保が難しくなります。2か月や3か月も先の予定を組む必要が出てくるというのは天候の影響を受ける自転車旅にはチト厳しいものがあります。